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子は親を救うために「心の病」になる(ちくま文庫)高橋克巳著
を読んで、気になった部分を記録しておこうと思います。 切り取っているので、単独では意味がわかりにくいですね。 自分の中に残った内容の印象は、 親となった人が課題を抱えていたり、それを押さえつけてがんばっていても 子どもは気付く。そして、それを救うために、 子どもがサインを出す。 それによって、親も変われる、一緒に変われる。というようなことではなかったかと思います。 目次など 第一章 息子は親を救うために引きこもった 第二章 娘の摂食障害が、母親の人生を回復させた 第三章 虐待されて育った子は「善と悪が逆」になっている 第四章 親とのつながりを持てなかった子の不思議な訴え 第五章 心の発達段階の最後、「宇宙期」とは何か *** 本の中からの覚書。 ☆人から「必要としている」と言われないと、ただそこにいるだけで自分が嫌われていると感じてしまうことがある。 ☆悪に耐えることが「善」で、善を求めるのが「悪」である。 悪に耐えていると心は安定し善を求めると不安になる。期待できないものを期待するよりは、確実なものに耐えていたほうが不安は小さいからだ。 ☆「自分を抑える生き方」「耐える生き方」は頑張りの源だからだ。 ☆耐えて頑張って生きるのがいい子だ。 ☆わがままを言って自分を主張するのは「悪い子だ。そんな子は許せない」 ☆家では怖いというと「そんなの怖くない」と否定されて、怖いということはない、怖くないんだと思って育った。痛いと言っても痛くないと叱られた。感情を出してはいけない家だった。みんな感情の逆のことを言う家族だった。 ☆30年間ずっと語れなかった自分の気持ちを言葉にする。自分の感情を聞いてもらい、認めてもらい、自分がいることを認められるようになると、不安と恐怖は弱まり、わらに、自分が(中略)母親は娘からのメッセージに気付き、「生きる喜び」とそれを共有する確かな存在感を受け取る。 ☆「菜奈ちゃんはママのこと心配していますよ。ママはいつも疲れていると言ってるって。大丈夫ですか。」(保育園の先生より) 菜奈は私のことを見ている。優しい目で見ているんだと思いました。それは私が恐怖の目であの人(母親)を見ていたのとは違う。 ☆菜奈は私を必要としている。自分は必要とされていると思いました。自分がいることがいいことなんだ、私はいていいんだ・・・」 ☆「生きていていい」その根本的な存在感は、親子の間でしか伝わらない。普通は、親から子へ受け継がれていく。しかし優希さん親子では、子から親へ受け継がれた。 ☆自分を肯定できれば、子どもを否定することはない。 子どもを肯定できれば、自分を否定することもない。虐待は消える。 ☆親が生きていくためにとっくの昔に閉じてしまったものを、子どもはまだ持っている。親は子に救われる。 ☆「気持ちを受けて止めてもらうっていうのも、本当は小さい頃のたわいのないことの積み重ねなんだろうなと思います。自分にはそういう経験がなかったのが悲しいことなんだろうなと思います。その悲しさにも気がつかないで今まで生きてきました」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.06.09 15:22:01
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