カテゴリ:ちょっと考えたこと
今朝は嵐のような雨だったけれど、風と共に雲は去り、一気に気温が上がる日になりました
昨日、ふと思ったことがあるので 誰かから自分に向けられたことばというのは、自分を映す鏡。でもあるのかもしれない 「敵が多いね」 旧知の方と久しぶりに会って話したときのワードです その方には自分の職場関係の話をしたときに こういう人がいてこまっている!というような半ば愚痴のような話をしたのですが おそらくそれを指して出たワードだとおもいます たしかに… けしからん人の話をして私が立腹しているのを見ての発言 そう、私は怒っている 腹の立つ話をして怒っているのだと おもえばこういうことはこれまでも何度もあって それがみじかな人であることもままあり、 もうすこし広範囲の物事にたいしてであったりもした その一歩手前に「正義感」みたいなワードが自分の中にいっぱい溢れて そこから正義感からの怒りに変わっていったんだと思います そこで発する言葉は刃のようにするどくなり 振りかざすなり振り回すなり、傷つけた人がいたかもしれない ひとからみればさして大した話でもないのに 正義、正論をもとに腹が立ってしまうんだろう(自分のことです) これは。。もはや思考の癖みたいなもので、ぐるぐると自分をしばっている そう簡単に解くことはできないのかもしれないけど 自分をぐるぐる縛っているといいましたが 刃は外に向いているようで、それで傷つける相手もいたりするけれど 結局、それは最後は自分に戻ってくるようにも思うのです つまり 私はひとをゆるしていないのです だから腹が立つし裁こうとする だがしかし、自分の中にあるそういった感情はめぐりめぐって 自分に戻ってくる それは以前 他人の失敗を許せない最中に自分も失敗をおかしたりして はじめて許されないこととは?と考えることになった、それと同じ ゆるさないからゆるされない そういった思考の癖みたいなのが自分にあると気づいた瞬間 人はまちがえるし、完璧な人などいない 不利益をこうむったら相手を責めたくなってしまう それは普通の感情なんだとは思うけれど それを始終やっていたら当然 自分もゆるされない、が答えになってしまうつまり ただただ…自分がくるしくなっていくだけなんだと ようやく今頃きづいているのです 誰に対する何の怒りなのか ちょっと答えはわからないけどもしかしたら 向けるべき人に向けられていない怒りや不寛容があるのではないかと ちょっと疑ってみてもいいかもしれない *** ちょっと前まで 自分は正しくて相手が間違っている、あの人のせいだと そういうことで頭がいっぱいになっていた そういう自分はどうですか? 間違えないのですか? いつも正しいのですか? そんなわけはないけど相手よりは自分のほうがましだとか 自分は誠実に生きているからだとか そういう気持ちで誰かのまちがいや未熟さみたいなものを 正そうとしていたのかもしれない つい正したくなるのも私の思考、行動パターンの一つだとは思うのですが (簡単には変わらないのかもしれないけれど) そうなると ほんとこれからもしんどい生き方をすることになるのかなとか 人を裁くような考え以外のパターンを探っていければいいかなと思うのです きっと簡単ではないとは思うけれど つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.03.29 15:04:05
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