託児、保育者について思う
昨日の託児は0,1歳児の託児だったので(!)ほーんと、赤ちゃんが多かった~!預かる子2人に対して従事者が1人はいたので、結構、目は届いていたかな?それよりなにより、私がおもったのは従事者同士が、お互いにやり取りをして、「大丈夫?」とか「変わろうか?」などという会話の中、託児ができたのが本当に良かった!ということ。これって、案外、簡単そうで、簡単にできないときもあります。たとえば、よく会話をして知っている人同士だったら、(そういう人を選んで?)話すことはできるかもしれないけれど外部託児は、そんなことまで考えて組まないので、そのときどきでメンバーが変わる。話しにくい人とか、あると思うんだけれど・・・。でも、そういうことを強く言う人はとりあえずいなくて、「私、私」と主張する人もいなくて(失礼)なんとなく、お互いに気に掛け合って、という感じでよかったです。***ともすると、保育の場は、保育者の力量(?なにをもって力量というか)を「競う」ような場になってしまいがちではないか、と前から感じています。そして、こんなことを言ってはなんですが、「この子はこういう子」と決め付ける、専門家がとっても多いこと。子どもにしても大人にしても、「こういう人」と決めてしまうのか?同じように子どもに対していても、扱いの上手な人、遊びをたくさん知っている人、いざというときのパニックに強い人。明らかに、「ああ、この人はできる人だなあ」と思う瞬間があったりするのは否めない。そういう人が、機転を利かせてくれたおかげで、混乱を避けられたりすることもあるので、それはそれで、助かるのですがみんながみんな、そういう人だらけで、託児をする必要はないなあと思っています。子どもにいろんな子がいるように、従事者にだっていろんな人がいていいと思う。子育てが苦にならないお母さんが従事者になったら、何かと気がついて、苦にせずいろんなことができるのかもしれない。でも子育てが苦になった経験のあるお母さんが従事者になったら、子育てに疲れて利用しにきた人の気持ちがわかるかもしれない。どちらも大事で。。。というか、保育園でも幼稚園でもない場所だから、先生じゃないから同じ子育てに関わるものとして、苦になるところがあれば「そうだよね」と共感したり「そんなもんだよね」と言える気持ちでいられることに意義があると思っていて。。。***先日、元保育士さんHさんとRさんに、「保育士さんって、どうやって評価されるんですか?(されてましたか)」と質問しました。(どういう質問か!)「たとえば、こういう保育をしているから評価があがる、というか評価してもらえるってことがあるの?」と聞いたところ「それはないよね~(声をそろえて)昇給は勤務年数かな?」とのこと。はかる基準がないのか、そういう制度がないのか。私たちの活動で、従事者に求められているものは、子どもに対する接し方はもとより、(まず子育て経験者がほとんどなので、生活の世話についてはほぼ、心配ない状態)預かる子の親と接するときに、同じ子育てする身としての目線ではないかな、と常に思っています。従事者は先生じゃない。よその子を預かる経験が、預けに来るお母さんたちより多いだけ。預かる側に、積極的に関わっているということ。。。そんな中で、お預かりのお子さんに対する対応は、それ次第でお子さんが、快適に楽しく過ごせるかどうかがかかっていることもあるので、適切に接してあげられるのは、まず必要なんだけれど、それが「うまい」とか、「従事者の動きがいい」とか、そういうことで評価される必要なんて、まったくない。ないどころか、害すらある気がする。競うのは、いったい誰のため、なんのため?ってことになる。。。ダメな自分を出せる場が、私の好みなのかもしれません。私たちの活動を、外から評価してくれる場が必要ということは痛感してていい方法はないかな、とは思っているけれど。