今日の託児から
今日の講座の託児は20名弱、2歳3歳のお子さんでした。これまでの数回は親子で遊ぶ講座だったためか、託児の部屋に入ってきていきなり泣く子はいませんでした。母親が退室しはじめると、泣き始める子が増えました。いつもの託児風景です。***今日はセミナーの講師の先生がはじまる前に部屋にきてご挨拶くださった。「あまりに泣く子の場合は、母親の所につれてきてもらってかまいませんから」とのこと。「承知いたしました。ありがとうございます。」とお返事をした。数十分すると、入れ替わり立ちかわり、母親が部屋をのぞきに来ました。講座の部屋から自分の子が泣く声が聞こえたから心配で来られたようです。託児の部屋に入って自分の子を抱きしめ、「もう少し、まっててね」と心配そうにお話しするお母さんがた。その気持ちも分かるのだけれど、問題は他の子たち。なぜ、あの子のお母さんだけ来てるんだろう?と思ってると思うのです。「自分の子が心配」といって部屋に入ってくるお母さんは、「自分の子が泣いている」ことで=託児従事者に面倒をかけているまたは=泣く子を置いて、講座を聞いている自分への罪悪感(そしてそれを心配して見に行かないのは、悪い母だから)という気持ちだったのではないかと 推測します。そして、託児の部屋に来ることで、それが解消する…と思われます。が実は、お子さん(ご自身の子、また他の子)にとってはマイナスになる面もあるのです。お母さんとはなれて、泣くことはある意味当たり前ですが、そこでがんばらねば、がんばろうとしているお子さんたち。お母さんが途中で来てしまうと、結果としてそのがんばりに水をさしてしまうことにもなりかねないのです。大丈夫。子どもたちは、すべて分かっていて、自分なりに表現し、気持ちになんとか、折り合いをつけていくのです。***出入り口まで来られたあるお母さんは、心配で来られたのですが、自分の子には姿を見られないように気を配っておられました。そして「大丈夫でしょうか」とおっしゃった。結果、そのお子さんは、1時間半のうち後半にはすっかり元気で楽しんですごすことができました。その子もがんばった、結果だと思います。「初めて、自分の子をよその人にあずけ、心配だったりいろいろなことを考えましたが、子どもなりに考えて成長しているのですね。(従事者を)信頼して、本当によかった。今日の日の経験は忘れられないものとなりました」と言って帰られたのでした。このように具体的に(率直に)お話してくださるお母さん方ばかりではありませんが、それはそれで、こそばゆいけれど、うれしいことです。「私たちにできるのは、ほんの少しのこと。そんなふうにおっしゃっていただいてありがとうございます」とお伝えしました。子はお母さんが大好き。というのは、託児従事するたび、どんなお子さんにも共通のことと痛感します。子のことを思わない母親はいません。もう十分がんばっているお母さん方に、エールを送りたい。