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2006.11.30
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カテゴリ:映画
昨日は水曜日、娘と映画を見てきました。

話題の「父親達の星条旗」です。

皆さんもご存知の通り、第二次世界大戦中、日本の硫黄島で凄惨な戦いがありました。
その硫黄島での戦いを、クリント・イーストウッド監督が、アメリカの立場からみた
「父親達の星条旗」と日本の立場から見た「硫黄島からの手紙」の二部構成で撮ったものです。

硫黄島で生き残ったドクという衛生兵の息子が、父が病気で倒れた後、父が硫黄島で戦い
星条旗を立てた一人であった事を知り、父の戦友に会いに行き、話を聴いてまわります。

硫黄島で6人の兵士が星条旗を立てている写真が、勝利のシンボルとして扱われました。

アメリカ政府は生き残った3人をヒーローとして、戦地から呼び寄せ、国債を売るために
国中をキャンペーンして回ります。

ヒーローとして扱われながら、生き残った自分を責め、カメラのフラッシュや花火の音で
凄惨な戦地での様子や、戦友たちの死んでゆく様がフラッシュバックします。

また、旗が二本あったことがわかり、やらせではないか、と言われさらに傷つきます。

戦友を助けようとして助けられなかったこと。
何処にいるかわからない、いつやられるかわからない、日本兵への恐怖。

5日間で終ると思われていた戦いは36日間続きました。

上官を亡くし、友達を亡くし、なのに自分はヒーローとして大勢の人にもてはやされる。
利用され、傷つき、恐怖からも逃れられず。

ドクは息子に自分がヒーローだった事を話していませんでした。
無くなる直前に少し話しただけ、それも息子に問われてでした。

せりふに「この星条旗を立てている写真で国の士気は一挙に上がった。ベトナムで負けたのは、あの銃口を突きつけた写真が発表されたからだ」
クリント・イーストウッドは、戦争は勝っても負けてもあまり変わらない。
どちらの国も、若い、子供のような青年がたくさん犠牲になった。と言っています。

また「本当に戦争を体験した人は、戦争の事を語りたがらない」とも言っています。
私は、常々、戦争を体験した人に、戦争のことを皆に話してほしいと思ってましたが、
本当に悲惨な経験をした人は、語れない、いつまでも心に大きな傷が残っているようです。

戦争は、多くの犠牲と、悲しみと、そしていつまでも消えない傷を残しているんですね。

私達は戦争があったこと、たくさんの人がどんな思いで亡くなったのか、忘れてはいけないと
改めて思いました。

今でも硫黄島で慰霊祭が行われる時、他ではありえないことですが、日米両方の生き残った兵士が一同に会し慰霊祭を行い抱き合って泣くそうです。

それほど、凄惨で辛く悲しい思いは、国を越えて、同じ苦しみを抱え、通じ合うものがあるのでしょう。

「硫黄島からの手紙」も、見に行きたいと思います。





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Last updated  2006.11.30 20:15:13
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