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カテゴリ:エッセイ
人の記憶というものは、かなりいい加減なものではないでしょうか。 たとえばこちらがこうだと思っていることが、他人からすると とんでもない話に化けてしまっているということがママある ものです。 何年か前になりますが、高校の同窓会がありました。 卒業後30年ぶりに会った同級生に、 「俺はあんたに弄ばれたんだ」 と言われて私は呆然としました。 「弄ばれた」とは聞き捨てならない発言だと思いませんか? 私の高校時代の男女交際などはかわいらしいもので、 せいぜい並んで歩く、くらいが関の山で男女が会話をかわす 程度のものでした。 今の高校生ほどおとなびた付き合いがあったわけではない のです。 にもかかわらず「弄ばれた」と言われるのは、私にとって とんでもない言いがかりにすぎないのでした。 「弄ばれた」というからには、それ相応の事実があって しかるべきであって、その事実がないのにもかかわらず、 そう断定するのは、あまりにやりすぎだと思うのですが、 いかかでしょうか? もうすこし相手の身になって考えてみれば、彼はその当時 私のせいでよほど傷つくことがあって、以来私に「弄ばれた」と 思い込んでしまったのかもしれません。 それにしても、30年もたってしまっていれば、 記憶もかなり風化してしまっているのではないかと思えます。 身に覚えのないことを責められる側にもなってほしいのですが、 いかがなものでしょうか?
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Last updated
2006年10月24日 07時42分32秒
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