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2006年10月24日
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カテゴリ:エッセイ

 

 

 人の記憶というものは、かなりいい加減なものではないでしょうか。

 たとえばこちらがこうだと思っていることが、他人からすると

 とんでもない話に化けてしまっているということがママある

 ものです。

 何年か前になりますが、高校の同窓会がありました。

 卒業後30年ぶりに会った同級生に、

 「俺はあんたに弄ばれたんだ」

 と言われて私は呆然としました。

 「弄ばれた」とは聞き捨てならない発言だと思いませんか?

 私の高校時代の男女交際などはかわいらしいもので、

 せいぜい並んで歩く、くらいが関の山で男女が会話をかわす

 程度のものでした。

 今の高校生ほどおとなびた付き合いがあったわけではない

 のです。

 にもかかわらず「弄ばれた」と言われるのは、私にとって

 とんでもない言いがかりにすぎないのでした。

 「弄ばれた」というからには、それ相応の事実があって

 しかるべきであって、その事実がないのにもかかわらず、

 そう断定するのは、あまりにやりすぎだと思うのですが、

 いかかでしょうか?

 もうすこし相手の身になって考えてみれば、彼はその当時

 私のせいでよほど傷つくことがあって、以来私に「弄ばれた」と

 思い込んでしまったのかもしれません。

 それにしても、30年もたってしまっていれば、

 記憶もかなり風化してしまっているのではないかと思えます。

 身に覚えのないことを責められる側にもなってほしいのですが、

 いかがなものでしょうか?

 

 






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Last updated  2006年10月24日 07時42分32秒
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