[小説]問題学生
リンは前日、3コマ目から無断で授業をさぼった。「どうして途中で帰ったの?」「電話をかけたけど、つながりませんでしたよ」「どうしてウソをつくの?どうして本当の電話番号を教えないの?」リンは事務のハンさんから詰問されている。オープンスペースになっている事務室にハンさんの声が響きわたり、教員室にも届く。リンは先週もこんな感じで詰問されていた。1人だけ寮費を払っていなかったからだ。リンは全校生徒の中でも最劣等生の部類に入る女子学生だ。小テストも名前だけ書いて、あとは白紙で出すことが多い。授業についていけない、というよりも、ついていく気もない。そんなリンでも事務のハンさんが血相を変えてしかるから、日本語は分からなくても、自分がどういう立場にいるかは分かるはずだ。「リンさんは、ひどすぎるから、退学届書きます。サインします。ベトナムに帰ります。いいですね」延々と語気荒く、ハンさんから攻めたてられて、リンは神妙に聞いているだけのようだ。彼女の声は教員室までは聞こえてこない。その場をやり過ごせばいいと思っているのかもしれない。授業中笑みをもらすことがある。スマホを使っていて、SNSに面白い書き込みを見つけたときだ。それと同じだ。リンだけではない。授業中スマホを見て笑うのは。本気で日本語を勉強しようと思っている学生はどのくらいいるんだろう。日本で働くことが一番の目的で日本語学校に籍を置いていると思われる学生が少なくない。日本人なら大学などの在学中に進路変更などで、学校をやめたりするが、うちの日本語学校に限って言えば、そういった学生はいない。それどころか大半の学生は2年間のコースが終わったら、専門学校などに進学する。中退なんかして国へ帰ったら、学生とその家族に残るのは、来日のために借りた多額の借金だけということになるのかもしれない。ベトナムでは同じくらいの能力があっても、ベトナム人の給料は日本人の4分の1ぐらいだそうだ。日本人の給料が、月1,000~1,200ドルだとすると、ベトナム人は月250~300ドルしかもらえない。いくらベトナムは物価が安く、日本は高いと言っても、人手不足のために仕事があり、賃金単価の高い日本は魅力なのだろう。日本に出稼ぎ目的で来ているのだとすると、リンのような、あまり勉強が得意でない学生が入ってきてしまうのも仕方がないことなのかもしれない。