あの日から
海の見えるあの街と この山里と このかけ離れた想い 行き場のないやるせなさは どうだろう それが 「過去のあやまちへの対価」とやらのせいで あたりまえのように一方的に どこやらが振り落としたらしい「課題」 そんな風に考えて 納得できるわけもなく 「なにか伝えられるべきもの」の おもてとうら 見えない力によるもの・・ とでも考えればよいのか ? それとも 沙翁がマクベスで言うところの fair is foul,foul is fair (良いは悪い で 悪いは良い) とでも考えて ひたすら中空に目をそらし 無理に呑みこむべきなのか? はては インカの教えにならって 「自らの二重の力」とやらに 導かれてさまようべきなのか? それとも・・・ ・・・・・・ どこまでいっても ただ螺旋を描くばかりで まとまらない想い まとめることなどできない だから 「わたしは まとめない」 「わたしは みとめない」 と、つぶやいて 「なにか」を無理に納得している そんな「今日」 そして「わたし」 なのですね。 なさけないなぁ。。。 何もできない 自分に腹立たしいのです それでも 忘れないことは できるかもしれない 語り継ぐことだけは きっと。。。。 ね? ねえ。 そこから見えますか? 今朝のこちらは 水無月の雨にけぶっています 「おもうよぅ・・・・」 想い出の海に向かって ただ祈る 「おもうよぅ・・・」 山に、そして空に もう想い出の中にしかない 「そこ」にむかって ただただ祈る 「おもうよぅ・・・」 この言葉が とある島では 別れの言葉なのだ と知ったのは はたちのころだった。 太古のやまとことばを いまだ語り継ぐ島の やさしい別れの言葉 ひとつおぼえの やまとぐちを 心のどこかでこだまさせて ただ ただ 祈ります 「おもうよぅ・・・・」 「おもうよぅ・・・・・・・・」 きょうは あの日から100か日です。