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テーマ:海外生活(7774)
カテゴリ:ブログっぽい?
テレビで臓器移植の売買についてレポートされていた。腎臓に機能障害のある38歳の男性が、フィリピンで80万円の費用で臓器移植を受けた。彼は、人工透析が受けられない体であった。彼はなにも手を施さなければ死を待つだけだった。奥さんがそういっていた。腎臓を売る側はマニラ近郊の最貧困の人たちである。ビリヤードをする男たちのわき腹にはみな30センチ大の手術の後があった。相場は30万円ということだが、貧困にあえぐおじさんは10万円で腎臓を売った。その金で家を買いテレビを買ったという。子供がたくさんいて彼の生活は腎臓を売ったことで貧困から脱出することはなかった。が、それでも彼には大きな収入だった。
私はこれらの経済活動を肯定する。 臓器移植の売買について、日本国内の問題については態度を保留したい。いや、これはケシカランことだ。やってはいけないことだ。医師は職業倫理を全うしなければダメだ。しかし、発展途上国での移植手術を否定するだけの根拠を私は持ち合わせていない。 人工透析は、たいへん身体に負担のかかる医療だ。ゆっくりと体がボロボロになっていくのである。四肢が硬くなって、針も刺さらなくなってくる。体のだるさもハンパじゃない。死んだ方がましだって誰だって思う。1週間に3回も透析が必要だなんて生き地獄に近い。それが臓器移植ですっかりよくなってしまうのである。 河野太郎は父・洋平に腎臓をあげた。美談である。太郎氏の顔色をテレビでみるにつけ血色が悪いことが多く、いやいや臓器をひとつ取りながら健康を維持することは大変なことなのだなと実感する。それをお金で赤の他人にやってしまうことの負担といったら。それでも売ってお金を得たい人がいる。ならばよいではないか。それで貧困から逃れることはできないが、彼らには人生のプランを立てるだけの心の余裕がないのだ。 それで、いきなり話は私自身についてになるが、私が経済格差を利用して、ホスピタリティーあふれるフィリピン人女性を、ブローカーを通じて結婚して、何が悪かろう。とこれがいいたかった。1ヵ月1万円を実家へ送金してあげればいい。彼女らは本国に帰郷することもない。ワンウェイチケットで日本にやってくる。私にとって奥さんでありメイドさんとなってしまうのかもしれない。親の介護を頼むかもしれない。それでも契約として合意してもことであればよいではないか。マリエルへの投資は失敗だとして諦めよう。まあ、友人としてつきあえばいい。それでもなぜフィリピンに、また東南アジアにこだわるのかって?好きなんだもん、彼女たちが。やつらの笑顔はホント、癒されるもんね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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