前回の日記で「おっさん、発想が古すぎますよ。」というコメントをいただいたが、その通りがかりの彼女の発想が新しいような気もしないのだよな。国際結婚とか国際恋愛に対する巷の反応って、ここ数年で大きく変化したような気はしない。大げさにいえばシーボルトの時代から底辺では変わりはないのではないか。この問題は難しく考えると、人種問題にまでいきついてしまう、深さがある。
私自身、肌の色の異なる女性に対する魅力を隠し通すことができないところがある。黒人の褐色の肌も、白人の透き通った肌も、それぞれに性的魅力を感じずにはいられない。また、外国人女性と年中一緒にいれば、逆に、これまでまったく気にもしていなかった日本人女性の肌のきめの細かさに気がついて、肌の美しさは日本人と朝鮮人が一番ではないかと思ったりもする。
私がいいたいのは「外国人だからといて、別に。好きな人がたまたまガイジンだっただけ」みたいなコメントの中に少々の白々しさを感じるのだ。「黒人の男じゃないと感じないの。」と訴える女性の声を聞けば、そうですか、そうですか。うーん、それは仕方がないことだなあ、と受容できる、私は。なんとなく気持ちがわかるから。
前回の日記では男と女の経済格差による恋愛について言及してみたが、所有欲というものがあるかぎり、お金が男と女の関係を結びつけて、なんの不思議もないだろう。結婚制度そのものがそういうものだからだ。男と女を結びつける要素は趣味が同じでした、とか、生き方が同じです、といったこと以外に、体臭レベルでの好みというものが大きく介在しているのではないかと思うのだ。わきの下のすっぱい汗の臭いに好感を抱くことが出来れば、その人に惚れているといえるのではなかろうか。日本人は体臭の少ない民族なので、あまり自分と異なる性質の身体を好まない傾向があるのかな。(胸毛の男はきもい、とか。)
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