第4の権力
私の知人の兄が逮捕された。10年以上前の話である。3日後、教職にあった彼の父親は自殺未遂をおこした。20日後、彼は釈放された。誤認逮捕であった。よく、判決文で目にする文言に「被告は社会的制裁をうけており」というのがある。知人の家族は誤認逮捕により社会的制裁をうけたのである。法律上では逮捕されることと罪が確定することとは明らかなる乖離がある。国民の公的権利を制限することには、はっきりとしたきまりがあるのだ。逮捕とは取り調べのため一時拘留するというだけなのである。しかし、そういった認識を報道のリアルタイムでもつことはめったにない。逮捕イコール有罪なのである。今や、社会的制裁の司法権はマスメディアが握っているのである。「表現の自由」は古より罪と罰のバランスメーカーの役割を果たしてきた。処罰されない権力者を「ペン」の力で処罰してきたのである。しかしながら、現代社会においては井戸端会議化した「表現の自由」が、報道管制のしかれていた暗黒時代のうさを晴らすかのように跋扈していて、それが「罰」のウェイトを加速度的に増量させている。しかもそれが、一般市民に牙をむいている。知人の父親が亡くなった場合には誰かが制裁をうけたであろうか。