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カテゴリ:周辺事態
どうも日本人というのは、何かにレッテルを貼るのが大好きなようでね。 レッテルをラベルを言う人もいますね、わたしはレッテルやラべリングを、日本語で言うとしたら『肩書き』が一番似合うような気がします。 なんかみんな、良きにつけ悪しきにつけレッテル大好きなような気がします。 このブログのテーマもまた、すべてレッテルになりうるんですよ。 つまり 「○○さんは、不登校だから○○なんだ」 「○○さんは、ひきこもりだから○○なんだ」 「○○さんは、ニートだから○○なんだ」 この○○だからという言い方ほど楽なものはないんですよ。 一方的に決めつければいいだけなんです。 「○○さんは、前科者だから○○なんだ」 「○○さんは、○○出身だから○○なんだ」 「○○さんは、○○だから○○なんだ」 もう何だってよろしい。 とりあえず、レッテルを貼れば考えることなどしなくていいんです。 さらに、相手を否定したい場合、これにその人の人格や人間性を攻撃し否定すれば、それでOK。 例えば、不登校支援者と称する人が学校を攻撃する場合はこうなります。 「学校は、子どもひとり一人を考えていないからダメなんだ。そんな学校がいくら一生懸命、不登校児のために取り組んだとしても、学校が学校である限りダメなものはダメだ。」 これでは、まったくお話しにも議論にもなりません。 学校はダメというレッテルを貼り、ダメなものはダメと全面否定しただけでは、ただ敵対関係が残るだけですね。 学校が、不登校関係者を攻撃するときも同じ論法が使われます。 「○○さんは、不登校だからダメなんだ。学校は社会に出る準備のために国民全員が学校へ行く義務があるんだ」 これもまた、まったくお話しにも議論にもなりませんな。 不登校はダメとレッテルを貼って、全面否定しただけですからね。 もし現実的問題解決、もしくは、少しでもいい方向にいきたいと考えるなら、理想と現実を比べてみて、もっとも良いと考えられるアイディアを出し合い、議論をし実現可能な方法、落しどころを探すことです。 そのときにレッテルは邪魔なだけで必要ありません。 ところが多くの人はそれができない。 むしろレッテルが大好きで、自分にもレッテルを貼ってくれることを望んでいるのではないかと思えるくらいです。 ニートという単語は、2年前に日本に輸入されて爆発的に広まった言葉ですが、これはニートと思われる人が、そのレッテル、つまり肩書きを好んで付けたんじゃないかと思える部分もあるんです。 「どうせニートだから」 とか 「だってニートだから」 て言っていれば楽じゃないですか。 でもねえ、レッテルをむやみに貼っても、理論付けはできないし、議論、つまり問題解決に近づくための話し合いもしにくいんです。 ただヒステリックになるだけでね。 もうそろそろレッテルで話しをするのをやめませんかと言いたいですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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