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カテゴリ:総合
6月19日に、『ひみつの試写会』をやったのですよ。
はじめは、友だちの新聞記者さんの企画で、ただの飲み会である予定だったようなのです。 しかし、集まってくる人に初対面の人がたくさんいるということで、でも特に話題になるようなこともない。 で、「あ、そうだ巨椋さんが新作映画『大丈夫』を作ったから、それを上映すれば、話題に事欠かないはず……」 と、“巨椋引っ張り出し計画”が起こり はい、引っ張り出されました。(笑) 観客は約10人。 場所は、水道橋のインターネットテレビ局の一室。 上映時間は、約43分。 映画の感想を聞いたところ 「もっとエグッた内容の方がよかった」 「感動した」 「映画としてはイマイチだけど、考える発端にはなる」 「いい映画だったと思います」 「不登校・ひきこもりの上澄みだけをとりあげたもの」 と、賛否両論でありました。 これらの感想を聞いた製作者であるわたしの思いとしては 「まずまず、狙いどおり」 というものであります。 「エグッた内容のほうがよかった」 「不登校やひきこもりの上澄みだけをとりあげたもの」 というご意見は、おそらく 「もっと問題提起をし、ひきこもりに苦しむ人に迫り、やがてその苦しみから脱却するような映画だと思っていた」 ということなのだと思うのです。 実のところ、そういう内容も考えていたのですが、そういったものは、ニューズ・ショーなどの15分特集でよくやっているものであったり あるいは、通常ドキュメント映画がやっている手法でもあります。 【あるひきこもりの若者がいる。 困りきった親は、あらゆる手段を使って“治そう”とする。 子どもは暴れ、親もときとして暴力をふるう いろいろな紆余曲折があり、努力を重ねる。 やがて、子どもは改心し、働きだし一家に笑顔が戻る】 作品の中に、涙と感動があるというもの。 これがよくあるパターン。 ドキュメント映画の王道。 ただ、ぼくとしては、「そんな映画など、作るつもりはこれっぽっちもないよ」と思っておりました。 そういった映画の方が受けるんです。 ところが、テレビなどに出た後で出演者が後悔をしたり、かえって家庭が上手くいかなくなったり、「テレビなんかにでやがって」と、いじめられるということも少なからずあると聞きます。 はじめはね、やっぱりエグることもしようと思ったんですけど、すぐにそれはやめようと思ったんです。 ぼくが映画を作るときにまず最初の思ったこと。 それは、映画に出ることによって傷つく人を出したくない。 出演者の自殺などを出したくない。 あるいは、映画に出ることで、つらい思いを思い出したりして欲しくないということ。 次に、観に来られた人のフラッシュバック(過去の苦しいことを思い出すこと)を起させたり。過去を思い出して涙を流すなどといったことがないようにしたい。 と、いうものでした。 そして、映画を観終わったときに、何かひとつのヒントや、「苦しいのはわたしだけではないんだ」、「そんな人もいるんだ」 「映画のあの部分は違うと思うけど、あの一言は同感だと思う」 と、思っていただければいいなと思っております。 そして「ひみつ試写会」の後、いろいろなご意見を聞いて思ったのは、 「よし!」 というものでした。 特にオチや感動がない映画ですが、こういう映画があってもいい んじゃないの? 「こういう人」「こんなことを考えている人」がいると知ってもらうだけでも十分じゃないの? というものです。 次は、ちゃんとした上映会を考えないとね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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