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ときどき吾輩のことを、社会派だとか、人権派とかいうやからがいる。 冗談じゃない! 人権派などということは、言っていただきたくない。 人権なるものが、いかに大切か、保護されるべきものであるかなんて、重々わかっているつもりです。 で、あるから人権なるものを、打ち出の小槌のような武器にする方々と一緒にしていただきたくない! 人権とは何か? 人が人として生きる権利である。 例えば、人が人を殺す。 これは犯人が、被害者の人権を犯したことになる。 しかし、犯人も人間である。 よって、犯人にも人権はある。 しかし、殺された人間は、もうすでにいないわけだから、人権などないと言うことになりかねない。 事実、最近までのマスコミ報道はそうでした。 何かおかしいのですよ。 犯人が捕まる。 テレビで犯人の姿は写る。 顔もアップで写る。 しかし手錠にはモザイクがかかっている。 犯人の人権保護のためだそうです。 これが現在の人権意識である。 何かおかしい。 犯罪者にも人権はある。 被害者にも人権はある。 人権と人権の対立になる。 これがおかしい。 この場合、人権と人権の対立になるのがおかしい。 弱者にも人権があるのなら、強者にも人権はあり 踏みにじられた人の人権を大切に思うのならば、踏みにじった人の人権も等しく尊重するのが当然。 つまりは、人権派などというものは、己のご都合によって、どちらにもつける人のことと言えますね。 つまりは、極めて浮薄!すこぶる軽薄! 人権などあってないのですよ。 もともと人には、権利も義務もない。 生きる権利もないし、死ぬ権利もない。 生きる義務もないし、死ぬ義務もないのです。 権利と義務の思想は、人造的は考えである。 ただ人は生まれ、生き、ただ死ぬのです。 そこには権利も義務もない。 それをいう人がいるとすれば、後付けの人造的思想である。 そしてその人造的思想は、ときとして人を脅迫する材料になる。 だから吾輩は言う。 「人には、元々、権利も義務もないよ。それは取ってつけたものだよ」 と。 繰り返しいうと、オレはこの「あってないものである人権」、「人造的思想である人権」がいかに重要であるかわかっているつもりです。 だからこそ、それを軽々しく武器にする人と一緒にしていただきたくない。 だから、吾輩のことを、『人権派』などという方々に言いたい。 いえいえ、ぶっ殺すなんて言いませんよ。 そのかわり 生殺しにしちゃうぞ!!(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007年11月01日 22時22分53秒
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