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カテゴリ:総合
『不登校・ひきこもり・ニート』の当事者や、その親というのは、人一倍集団の中にいたい人たちなんです。
たかだか『不登校・ひきこもり・ニート』という【言葉】に焦っているくらいですからね。 そういった人は、集団の真ん中あたりにいることに一番安心が得られると思っていたのでしょう。 中には、真ん中にいることもないと、別の生き方を選んだ人もいるでしょうけどね。 そもそも人というのは、あるいは群れで生きる動物というのは、できたら群れの真ん中にいたいという気持ちがあります。 これは、人類には皆その傾向があるようなんですけど、特に農耕民族で、なおかつ、異民族と接することが極度に少なかった日本人には強く見られる傾向です。 牧畜民族や狩猟民族だと、リーダーの判断というのは、とても重要になってきます。 リーダーの判断ひとつで、その群れが全滅するという危機が常にある。 一方、農耕民族だと、むしろ強力なリーダーシップよりも、調和が重んじられるんです。 あまり強力なリーダーは、特別な場合以外いらないといってもいい。 群れを引っ張って行くというより、その他大勢の代表者程度でいい。 隣り村が田植をやったからオラが村もやるべえでいい。 さらに、異民族からの侵略虐殺もないから、いざというときに、先頭にたってリーダーシップをとる必要もない。 わたしの故郷である兵庫県には、次のようなお話しが残っています。 「ある年、ひどい凶作であった。 ところが、ある百姓の田畑だけが、他の百姓と違い、例年の実りをむかえていた。 その百姓は、村で一人浮いた状態になった。 誰もその百姓と口を聞かなくなった。 村は共同で生きるものである。困りきったその百姓は、実りを刈り取る前に、すべての田畑を焼き払ってしまった。 つまり、他と百姓と同じく、収穫なしになったのである。 するとどうであろう。 これまで、完全無視の状態であったのに、ひとりまたひとりと、その百姓の家を訪ねてくる者が出てくるようになり、また元通り仲良くなったという」 いかがでしょうか? これが、日本人の心理であるといいます。 俗にいう百姓根性。(笑) 他の国では、この百姓はヒーローになったかも知れません。 しかしみんな横一列を望んでいるこの国では、一人だけ成功する人は、妬まれるのです。 そして、村の多数の人から妬みを受けるようになると、こっそりとその人を応援したりもできなくなります。 そういう人を応援したりすると、圧倒的多数の人はこういいます。 「なんでえ、あの野郎は! 成功している奴に媚びへつらいやがって! そんなヤツは仲間じゃねえ!」 そして、その人も仲間外れにされてしまう。 それが、この国の人々が持っている潜在意識。 横一列がいい。 特に表に出ると叩かれるから、誰かの尻馬にのってみんなと一緒に行動するのが一番だ。 一番後ろというのは、よくない。 前のヤツにおいしいところを持ってかれたら損になる。 だから、真ん中あたりが一番いい。 外れてしまうのはよくない。 みんなからいじめられてしまう…… 『不登校・ひきこもり・ニート』で苦しんでいる人というのは、こういった心理を人一倍強くもっている人が少なくないんです。 だって、たかだか、子どもが学校に行く行かない程度のことで、死ぬの殺すのと大騒ぎです。 みんなが学校に行っているから、自分も、あるいは自分の子どもも学校に行かないとダメだ。 という心理。 一人では青信号すら渡れないけれど、みんなと一緒なら赤信号をわたってもこわくない。 そういったことに呪縛されていない人というのは、子どもが不登校になってもサバサバしたもんです。 「いやあ、個性的でいいじゃないですか」 なんてね。 子どもだってその方が心理的プレッシャーが少ないからノビノビしちゃって、逆に 「学校に行こうかなあ、勉強したいし友だちと会いたいんだ」 なんてことになってくる。 人間は集団で生きる動物ですから、子どもだって集団にいたいし、友達も欲しいんですよ。 だからといって、真ん中や横一列じゃなくてもいいじゃない。 先頭に立ってようが、端っこにいようが、後ろやちょっと離れたところでウロウロしててもいいじゃない。 百姓根性のお話しをしましたけど、いまは、農民は少なくなってサラリーマンになってる。 だから、悪い意味でのサラリーマン根性に当てはめてみても面白いですね。 別にさ、真ん中あたりや上位のサラリーマンじゃなくてもいいじゃない。 それだけが人生じゃないよって言いたいですね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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