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前回、「神は実在するのか?」「なぜ生きるのか?」という疑問から、西洋哲学や科学が発達していったということを述べました。 その原点はキリスト教、ひいてはイスラエルの民の宗教の思考法である「オール・オア・ナッシング」にあると述べました。 「オール・オア・ナッシング」とは、『不登校・ひきこもり・ニート』と関係の深い、パーソナリティ(人格)障害や、アダルト・チルドレン、神経症や気分障害の人がなりやすい思考法でもあると述べました。 『不登校・ひきこもり・ニート』と、虐待やいじめは、関係のある場合もあり、イスラエル(ユダヤ)人は、民族という単位で、常に迫害され、虐待され、いじめられてきた歴史があります。 個人の人格も、集団(民族等)の人格も、環境や歴史によって似てくるのかも知れません。 さて、「オール・オア・ナッシング」の思考法を持つ宗教に影響をされた人たちは、「神は実在するのか? どうやって証明するのか?」という疑問を持ちました。 実はこの、「神は実在するのか? どうやって証明するのか?」という疑問を持つ宗教は、極めてめずらしいことなのです。 なぜか? 「宗教の本質は“狂信”にある」からです。 ここで言う狂信とは何か? 「文句や余計なことは考えず、ひたすら信じること」と言えましょう。 よくわからない? 日本には、「南無阿弥陀仏」と唱え続ければ、極楽浄土に行けると考える宗教や、「南無妙法蓮華経」と唱え続ければ救われるという宗教があります。 その布教者、信者、研究者に、「極楽浄土とは、具体的にどのようなところか? 証明せよ! 答えを出せ!」という人がいましょうや? いたとしても、科学的に証明しようとしたり、答えを出そうと何代にも渡って研究し続けた人がいましょうや? 「悟りとは何か?」 「悟ってみなければわからない。だから悟るために修行なさい」 と、日本人宗教家なら答えると思います。 「極楽浄土とはどのようなものでしょう? 証拠を出し証明してください」 「死んでみなければわかりません」 という人もいるでしょう。 「そんな疑いを持たずに、ひたすら信ぜよ! お経を唱えよ!」 「お経を唱えよ」が、「呪文を唱えよ」でも「ひたすら祈りなさい」でも同じこと。 これが宗教の本質。 ところが、古代イスラエルの民やその影響を受けた古代ギリシャの人たちは、その証明をしようと哲学を作り、数学を作ったのです。 そこで古代ギリシャの哲人たちや数学者たちは、必死に考え討論をしました。 しかし、それは長く続かなかった…… なぜならば、キリスト教も宗教であり、本質は“狂信”であったからです。 古代ギリシャから古代ローマへと時代は渡り、やがてヨーロッパは中世の時代をむかえます。 中世ヨーロッパは“暗黒時代”とも言われるように、キリスト教カトリックがヨーロッパを支配した。抑圧した。 抑圧とは「ひたすらキリスト教を信じよ! 信じない者、異教徒は殺せ!」というオール・オア・ナッシング的な考え方です。 やっと14世紀から16世紀に「ルネサンス」と言われる時代が来て、古代ギリシャの哲学や数学を再生しようという動きが出てきた。 レオナルド・ダビンチやミケランジェロといった人があらわれた。 宗教改革があり、プロテスタントが生まれた。 大航海時代でもあり、新航路発見の冒険があった。 フォーク使って食事をする習慣が入ってきた。 アラブやインド、中国や日本などより、よほど野蛮で文化的に低かったヨーロッパが、世界を侵食しようとする時代でもあった。 とはいえ、キリスト教による抑圧の壁は厚く、「天動説」と発表したガリレオ・ガリレイは宗教裁判に掛けられ、一生を軟禁生活させられたり、魔女狩りが行われ多くの人々が拷問され殺された時代でもあった。 「ルネサンス」の時代は、16世紀で終わりますが、この後ヨーロッパ文明は、アメリカも含めて驚異的な発達をします。 その原動力は、「オール・オア・ナッシング」的な思考法。 シロかクロかをハッキリとつける論理学的な思考法でもありました。 (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008年05月18日 06時02分35秒
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