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わたしは、小説や本を書いたり、漫画を描いたり、映画と撮ったりしているせいか、ときどき 「どうせアンタは、エリートだろ」 だの 「実家がお金持ちのボンボンなんだろ」 と、決めつけられてしまうことがあります。 ふふん、だったらいーなと思うよね。 両親は、公営団地に住む年金暮らしだし、宗教にハマって貯蓄もないし。 わたしの学校の成績はというと、それはそれは惨憺たるもので、どれくらいヒドかったかというと、子どもの頃は、全科目1か2でね。 学校の先生も、親も少しおかしいんじゃないかと思ったらしいんですよ。 で、小学校のとき、山の中のサナトリウムみたいなところに連れていかれて、IQテストとか、いろいろ検査されたことがありましたね。 参照:(わたしのホームページより)http://www.max.hi-ho.ne.jp/oguosa/ogura/D2_46.htm#62 あのとき、親と先生から、マジメに養護学級にいかないかと言われたことがあるんです。 結局、親が普通学級にと決めたみたいなんですけどね。 正直いうとね、わたしは行きたかったんですよ。 勉強なんかまったくわかんないし、学校にも自宅にも自分が安心して存在できる場なんかなかったですからね。 夜、寝るとき真っ暗になってから、やっとほっとできるんです。 小学校の頃は、ふとんの中だけが、安心できる場所でしたねえ。 初めて自殺を考えたのも、小学校の4年か5年くらいだったと思います。 「自分なんて居ない方がいいんじゃないか」 とか 「生きているのがつらい」 なんて、それなりに真剣に考えてましたねえ。 よって、ときどきというか、いまでも「オレってバカなんじゃねーか」って思いますね。 参照:http://www.max.hi-ho.ne.jp/oguosa/ogura/D2_392.htm#442 わたしだけじゃなくってイトコなんかも同じような目にあったらしい。 もっとも彼はちゃんと大学を卒業し、会社員として数年間勤めた後、家業を継いでいますから、たいていは何とかなるもんらしいですな。 参照:http://www.max.hi-ho.ne.jp/oguosa/ogura/D2_277.htm#323 高校時代はこんな感じだったし 参照:http://www.max.hi-ho.ne.jp/oguosa/ogura/D2_420.htm#477 この高校だって、よく入れたなーって思いますよ。 高校なんか行く気なんかなかったですからね。 行けるとも思ってなかったし。 高校卒業して、定職に就くわけでもなく、フラフラしていましたね。 たまにバイトをやるくらいで、いまでいうニートとかフリーターだったんですよ。 周囲には「漫画家を目指している」って言ってましたけど、それはほとんど言い訳でね。 何かを目指しているとか、やってるって言わないと、存在が許されないから、とりあえずそう言ってた感じです。 実際には、本当になれるなんて、思ってなかったしね。 23の時、たまたま投稿した漫画が入賞して、それを言い訳にして家を飛び出したんです。 このままこの家にいたら、オレはダメになるって思ってましたしね。 前年におばあさんが死んだとき、形見分けで20万円ほど貰ってましたから、それが全財産でね。 とりあえず東京に来て、場所も何もわからないから、適当な駅で降りて、不動産屋に飛び込んで、一番安い部屋を貸してくれっていいましたね。 するとね、新宿歌舞伎町から道路一本挟んだ大久保って街があるんですけど、東洋一のラブホテル街なの。 そこの裏通りにある、いまどきもうないような、三畳間を貸してくれたんです。 家賃1万6千円だったかな。 ラブホテル街だから、アパートから一歩でると、売春婦やオカマの売春婦が立っているようなステキな環境でね。 夜中の買い物は、いつも歌舞伎町でした。 それからわたしの、七転八倒の東京暮らしがはじまるんですけね。 まあ、いまとなっては、悪くない人生だったと思ってますよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008年07月09日 00時12分52秒
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