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不登校・ひきこもり・ニートを考える

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巨椋修(おぐらおさむ)

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2008年08月12日
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カテゴリ:不登校
そもそも、義務教育なるものが、なぜあるかというと、子どもに教育を与えることによって、将来その子が仕事を持ち、より豊かになることによって、ひいては国家自身も豊かになるための投資である。



親がなぜ、子どもに学校に行くことを求めるかというと、子どもに教育を与えることによって、その子が将来より大きな利益を得ることができるようにするためである。



この場合における“利益”とは、金銭に限りません。


それはあらゆるプラス面のことを指します。


利益を“幸せ”と置き換えてもいいかも知れませんね。



国も親も社会も、子どもに教育という多額の投資をすることによって、将来、自分の利益(幸せ)になると考えていると言ってもいいでしょう。




ときとして、人は“無償の愛”という幻想を見ます。


ときとして、親は“無償の愛”を子どもに与えていると思ったりもします。


でも、よくよく考えればそれは、必ずしもあたらない。


結婚し、子どもを作り、育てるというのは、それ自体には、大きなリスクがあり、デメリットでもあります。


しかし、人はメリットがあると信じてそうしたことをするのですよ。


それが、リスクとデメリットだけであれば、“ただの義務”だけとなり、やがて苦痛のみが残るでしょう。


当然、ただの義務として、子どもを学校にやるというのでは、いささか無理が出ています。


そこには、子どもの利益(幸せ)を考えていてほしい。


子どもの利益は親の利益(幸せ)になるからです。



でもね、もし仮に、学校に行くことで、いじめや、どうしても学校になじめないといった過度の苦しみや傷つくことになるとすれば……


それでも無理やり学校に行かせるというのは、子どもに不利益(不幸せ)を強要する場合になることさえあるかも知れません。



それは、いじめなどが原因で自殺する子どもが後を立たないことからも、わかることであるでしょう。



子どもの利益を考えるなら、子どもの不利益(不幸せ)を強要するのは、どうなのでしょう?



子どもの将来が心配であるというのは、わかります。



しかし“いま”子どもが苦しんでいるのに、子どもの将来のためにその苦痛を無視するというのは、ちょっと違うように思えます。



これは、子どもが風邪にかかっているのに、治療をせずに“子どもの将来のために”と、称して学校に無理やり行かせることと同じようなものです。



また、子どもが学校に行かないことに悩み苦しむ親御さんもいますが、これは、子どもが難病になったときに、その親御さんも一緒に難病になることと同じです。



もし、子どもが風邪にかかったのなら、親の役目は一緒に風邪になって苦しむことではないはずです。


また、不登校に限っていえば、


「いまの苦労は、将来報われる」


というものではありません。


「いまの苦痛は、一生の傷になる」


という場合が少なくないからです。




どうしたら一番、子どもの利益になるのかを考えるべきでしょうね。



これは、親に限ったことではなく、国も社会もそうするべきでしょう。



それは、それぞれの利益(幸せ)のために……、とも言えるかも知れませんね。








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Last updated  2008年08月12日 16時43分28秒
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