最近の新聞
今から20年ほど前に書かれたものでナンシー関さんが、現在の新聞は下世話になったとのエッセイがあったそれは、大手の新聞が事実を冷静に伝えるのではなく事実のほかに読者の興味をそそる三文記事的な文章を付すようになったとの内容である実は、いつのころから私も同感であった高校時代、ひょんなきっかけから新聞部に入りバンドをしながら新聞を作っていた学生新聞とはいえ、近所に広告の寄付をお願いしたり週刊の新聞や四半期新聞、マンガの連載や政治問題などそれなりの内容に仕上げていた部長の時には、なんとか文部大臣とかに表彰に呼ばれたりしたものだ実は、この時、新聞の力を最大限に利用をしようしたのもあった当時は校内暴力全盛期で、各学校は持ち物検査など、学校の門の閉鎖等学生に規制をかけた時代生徒は学校の管轄下におかれ、対抗する勢力としての校内暴力の悪循環であったその中で、学園祭等のイベントや生徒の声を伝えるのは難しくできる手段として考えたのが新聞で学校を批評したものだった当時、各県の他の高校から何度か取材を受け高校生でも高校生の立場で学校改革はできるものだということを発信をしていたそして、学園祭の実行委員から生徒会の役員へと権力を得るようになっていたのだがマスメディアの力をバックに学校の制度については、新聞の取材という立場で市長、県知事等と話し合いをし解決していったそのころ、権力者は権力に弱いということを学んだと思う新聞(マスメディア)の力は体制に影響を与える日本は国会議員の一部と霞が関の一部の人々で回しているこれはこれで、機能的であり良いとは思うがチェック機能としてのTV,新聞が機能しないのでは、いつ戦争時代に戻ってもおかしくはない民の声を伝えるのは新聞である残念だが、選挙でも2大政党だかり他の政党の主張の取り上げはすくなく結果として民は、情報不足から2大政党を支持してしまうことになる2大政党論は嫌いではないのだか、片方の政党が今の保守の分裂した党員が多いのというのが気にいらないオンブズマンは大事である本日の総裁戦にしても、大手新聞も政策評を中心に添えるのではなくスポーツのあらそい見たいに、どちらが勝つか負けるか出自はどうだのよろしく書き立てている角栄さんのような良くも悪くも民からのたたき上げはもう出ないのだろうか昨年、ある大手新聞の役職者の方と話をした際に、今の記者はサラリーマンだそうな刑事ではないが靴をすり減らして記事をとることが少ないというまた、庶民の生活もわからないエリート家庭も多いようだ学生の頃は3大新聞にしても、左右の特徴が色濃く出ていたと思う先日、ブログでお世話になっているかんぽんさんが小島よしおはオモロないと書いていたけどこのような一発芸人のTVばかり、落語、漫才などじっくり聞かせるものがなくなった新聞もじっくり読ませる記事がなくなった気がするこれは、自分が年をとり、記事の裏読みをするようになっただけではなく文章的にスポーツ紙のエッセイが入るようになってしまったスポーツ紙はスポーツ紙の良さがあり東スポにいたっては見出しは芸術の域だうちの親父ドンなどは、J馬場達とつるんでるときは記者と麻雀などやりながら、カメラマンが来るとレスラーに霧吹きをかけ海辺で写真をとり、次回対戦に向け海辺で10キロマラソン全身汗だらけなどのスポーツ紙の記事をかかせたそうな昔のおもしろおかしいスポーツ紙の良いところだナンシーさんの話に戻るが今なお読み返してもエッセイは新鮮だ20年近く前とは思えない2002年に亡くなられたのだがあらためて、今、読み返してもおもしく、痛快である。。。惜しい人を亡くしたケセラセラ