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カテゴリ:人生
誰かに善い事すれば、いつかその良いことが返ってくると言います
そりゃいつか戻ってくるだろうけどね。。 それは悪い事をしてもその分の報いがあるということですが、実際にはそんなに単純じゃないのですね。。 人の多くは報酬というモノを欲しがります。つまりタダでは動かないのですね。よってボランティア活動においてもその報酬を求めるようです。特に交通費お食事代も全部自分が出すのは嫌ということ。。 大地震災害で急遽救援しに行く人でも、食事代や宿泊費を人任せにしてしまったり。。被災地では本当に迷惑なので、来て欲しくないとなりますね。。条件付きのボランティアなんてね。。 仏教のお布施は寄付金だけでなく、微笑みや席譲りなどと行動があり、誰にでもできるモノです。ただし、やらせて頂くということです。やってやるんじゃないのですね。。だから、見返りはありません。 礼も言われないで唾を吐きかけられることもあり得ます。多くの人が欲しいのは、悲しいかな、感謝されることでしょ。その点、もしかしたらキリスト教的奉仕は。。 見返りが無いということは、一方方向なのです。だから良いことの返りを求めないのですね。。これがわかりにくいでしょう。「するとされる」というのは、常に因と縁のことなのです。 しかしながら、やったことが、そのまま返るのでなく、いつどのようにしてなのかはわからないのですね。ランダムとでも言うか。。 例ではお札を落とした後でほぼ同額の金額を見つけた場合、同じお札を見つけたのではないということです。学生の時に知人にお金を貸してあげて、そのことはすっかり忘れていたけど、社会人になって必要な時にうまくお金を借りることが出来たという具合です。うまい例でなくてすみませんね。。 社会の教育では、人を助けておきなさい、いつかあなたも助けられるからと先に得を説くようなので、損得を秤にかけるようになっているのではないでしょうか。。結局は自分の為だからやっておこう、なんてことになっていますね。教育が問題あるということです 天に唾する者はその唾が自分に落ちてくるというのもありますが、これはすぐに結果が出てくるのでわかりやすいかね。。でも自分の口から出たのと同じ唾でなく、鳥の糞が落ちてくることもありなのですわ。。 他人に期待しないでいると、裏切られたと言って騒ぐ見苦しさもありません 誰かを愛しきった時、嫌われようが、裏切られようが、そんなことどうでもいいのです。あなたがやることに目的はありません ただ、やるだけ。。結果を待たない事。。考えすぎると出来なくなるのですよ。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年12月18日 10時30分08秒
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