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カテゴリ:愛
手紙やメールの最後あたりに書く言葉が「ご自愛ください」です。自分の事なので「自」が。。
慈愛は聖母マリア様のような、または観音さまの「慈愛」深いまなざしと使います。慈しみですね。。 自愛だと、「(あんたが)気をつけて風邪なんかひいたらあかんよぉ」となり、家族には触れてません。つまり「家族の為にあんまり無理せんときや」になります。 しかしながら、他人の幸福を願うことは、幸せが自分に返ってくるということですので、自分が幸せになりたきゃ、人にやさしい言葉をかけましょうというお話です。 でも自分がとにかく幸せになりたいとは言いにくいでしょうから、とりあえず素知らぬ顔でおればいいのですね ところが他人の幸せが大事で優先されるべきだという人は、堂々と他人の幸せを願えばいいのです。 結局はめぐりめぐって、皆幸せになるということです。自分だけの幸せを大ぴらに願うよりも、大きな顔して隣人や自分以外の人の幸せを願った方がいいかなぁ。。。どちらにせよ、もうすでに我々は幸福に包まれている、大きな慈愛にはぐくまれているのですね。。 日本語で愛してますと言ったり、ハグする人いるようですが、あの「愛してます」はすんなり言えません。オニオンにはどうしてもあの「愛」は外国語の訳のような気がするのですがね。。ハグも昔々は日本人たち、ハグしてたのでしょうか。。 こちらに住んでると、抵抗なく「愛してる」やらハグも可能ですが、誰かれ構わずするのではないのですね。。国によっては体に触れないところもあります。一概には言えませんけどね。。 (ちなみにオニオンは歩くのがしんどい母を負ぶってやろうとしましたら、胸のポケットの何かがつかえて痛いからやめてくれと嫌がられました。) ただ、母親の愛は慈愛だといいますが、いったいどういうモノかわかりにくいですよね。。いつくしみって何なん ずいぶん前に読んだ記事では、子供を優しく扱ったり、抱きしめてキスしたり、子供の喜ぶプレゼントしてくれたりするのだけが母の愛ではないとありました。冷たく扱われると子供は悲しい想いをするものですが、どんなにぞんざいにされても、自分を産んでくれた恩らしいです。そのあと捨てられても、また生まれる前におろされても、自分との縁で繋がれていることが愛だとありました。 母親を憎む人もいるでしょう、どうしても許されない母親もいるでしょうね。でも感謝することが出来ればいいのではないかということです。もちろん望んで生まれてきたのではないという人もいるでしょう。母親だって、生みたくて生んだのではないかもしれませんよ。。 今回も長くなりました お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年12月28日 10時10分07秒
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