ばあちゃんのいない日曜日 母と娘の会話
この頃、ばあちゃんはちょくちょく日帰りや一泊、二泊の旅に出る。残り僅かとなった?!余生を楽しんでいるのだろう。その都度にお小遣いなんて気の利いた事の出来ない若い衆は、心苦しい限りだが、ばあちゃんの「言って良いよって言ってくれるだけで良いよ。」の言葉に救われるのであった。 とても気のつくばあちゃんがいないと、休みの日の遅い朝食が終わっても、本当に静かだ。次の行動の指示を出すものもいなければ、散らかった物を片付けろと言う者もいない。私が娘に「ばあちゃん、いないと静かだね。でも、ずっと居ないと、うちの中、わやくそ(グチャグチャの意)だろうね。」と言うと、娘が言った。「ほんと、ほんと。絶対そうだね。きっと『羅生門』状態になって、死体とか転がったりするんじゃない?」 羅生門は、一年の現代文で習った。試験勉強している娘の傍らで私はその文を読んだが、わが娘ながら、なかなか気の利いたことを言う。気の利いたと言うのもおかしいが、インテリジェンスではないか。 こんなことはなかなか言えない。とってもいい子だと思うのだが、いまだに彼と復縁できないのは何故なのだろう・・・・!?