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日常我々が接触するものの一つに「言葉」がある。 あるときは、他人に対して、あるときは自分に対して発する。 そして攻撃したり、守ったり、励ましたり、癒したり、etc
自分に発するときは暗示ともなりえる魔法の道具、「言葉」と いうものは非常に面白い。 単なる音声の羅列なのにこうまで効力があることに日頃より 不思議なのだが、その中には、人生を一変してしまうほどの 言葉が多く存在する。 その中で去年、私の中で心に留まった言葉を紹介しよう。
子曰、不患無位、患所以立。不患莫己知、求爲可知也。 (子曰く、位なきことを患へずして、立つ所以を患へよ。 己を知らるることなきを患へず」して、知らるべきをなさんこと を求めよ) 「論語」より
意味はというと 『自分がつきたいと思っている立場が与えられないことを 心配せずに、どうしたらその立場になれるのか、実力が無い ことを悩みなさい。人が自分の価値を知ってくれていない事 を心配せずに、知ってもらおうとつとめなさい」 つまりは「落ち込む暇があるなら自分磨きに精進せよ」とも とれるこの言葉は、当時の私を突き刺したのだ。
私はこれを読み以前より落ち込む時間が多くなっていたことに 気付かされたことと、惰性に流されて、無難な営業しか考え られないようになっていたことに気付かされたのだ。 やはり、顧客満足度を高めることに精進しなければ私の ような零細企業では生き残れないだろうし、知らず知らず のうちに失っている顧客も多いだろう。 クレーム処理にしても、私が率先して手本を示さなければ 従業員もついてこないだろう。
あれこれ考えるより、実践して結果を出し、それから対策 を練ればよいのだ。 実行前から悩んだところでたかがしれているのだ。 そう思い、この一年頑張ってきた。 もうじき1年。 早いようで遅い1年がもう終わろうとしているが、もう一度 気を引き締めて頑張ろうと思うのであった。
蛇足だが、先日の某お相撲さんと某ボクサーの謝罪会見 は大笑いである。 あんな謝罪会見は必要ない。 さっさとその世界から切って、もっと有望な若手を担ぎ 上げればいいだけなのである。 それだけ緊張感を普段よりもつようにすればいいだけ なのである。 道徳に反すれば即退場というのは、どんな業界でも通念 として共通していることだと思うのだが如何だろうか。 強ければ良いなどという観念は、弱者の理論であろう。
我々は、人間として、音声の羅列である言葉だけでなく その人の品格が持つ「行動」も非常に大事であるという ことも追記しておく。
しかし、皆、幸せになれるように日々精進しようではないか。
今日のBGM 浜田雅功&槇原敬之 「チキンライス」
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