テーマ:心の病(7311)
カテゴリ:病気・通院・心の動き etc.
最近やっと、ポルノグラフィティの「メリッサ」を聞いても、胸がザワザワしなくなってきました。
一番酷かった頃から、十数年。 ここの所、能天気な日記ばかり書いてますが、本当に色々ありました。 安定してきた今だから書ける事を、ボチボチと書いていこうと思います。 今でも時たま、うつ病で苦しい時期を過ごされている方からメール等を頂くことがあるので。 ただ、そういった内容を不快に思われる方もいらっしゃると思いますので、その場合はこちらの画面を閉じてくださいね。 実は私、まだ保険には入れなかったりします。 うつ病患者の方なら、そういった経験があるかと思います。 心療内科・精神科の最終受診、処方されてから5年が経過しないとダメなんだそうです。 という事で、まだ、寛解と診断されてから、5年経ってないんですよね。 こんなに元気そうなのに!?と思われそうですが、その当時は何だか辛くて、書けなかった事もあったんです。 だいぶその辺も自分の中で消化出来てきたので、書いてみますかね。 ちょっと脱線しますが、一番酷かった時期、支えになっていたメールがありました。 当時の彼氏からのメール。 現旦那なんですが。 その当時のメールは、大事に取ってはあるんですが、未だにちょっと見返せません。 酷かった時はあんなに読んでいたのに、今は開けようとすると、心がざわめいて、不安定になるので、あえて無理して開けないようにしています。 実は、当時の彼氏(現旦那)には、三度振られてます。 二度目と三度目は、かなりこっぴどく。 一度目と二度目は片思い時期、三度目はドクターストップがかかって実家に帰った後しばらくしてからです。 当時を振り返ってみると、元彼(と言うべきなのか?旦那だけど)には依存しまくってました。 振られてから、デロデロに落ち込んで、投薬内容もかなり酷いことになってました。 まあその後、紆余曲折あり、図書ボランティアやら司書やらと、自分で立つ努力をしました。 ここはかなり書いてたと思います。 で、元彼と再会し、縁があって結婚する事になったわけですが。 当時はまだ、寛解まで行ってませんでした。 減薬はしてましたが、断薬まではいかずの状態。 結婚や引越しとなると悪化する可能性もあるので、主治医には紹介状も書いてもらってました。 旦那の所に引っ越してからも、もちろん心療内科にかかり、少し増薬する時期もあり、安定した頃に減薬しました。 減薬している時、主治医に子供について相談しました。 そしたら何と、驚愕の台詞が。 「断薬してから出来れば5年は開けた方がいい。無理なら3年。」 (゚Д゚)ハア? 無理無理無理!! 恥ずかしながら、ブログを続けている期間を見ても分かるように、私はかなりの晩婚でした。 それでなくとも高齢出産の年齢に差し掛かっていて焦る時期。 そんなに待ってたら、余裕で40歳越えです。 ビックリしました。 医師にそれを伝えると、かなり渋い顔をされました。 薬の影響のリスクを取るか、高齢出産や40代以上の不妊の可能性のリスクを取るか。 旦那とも話し合いました。 お互いの年齢が年齢だけに、もしも子どもが出来なければ、それはそれで仕方ない。 だけど、薬の影響を考えて3年以上待つのは、私の出産年齢や体力とかを考えると厳し過ぎる。 医師にそれを伝え、急ぐならば減薬の速度を早めて断薬をと言われました。 ただ、離脱症状でかなりキツくなる可能性もあると脅されました。 断薬から本当ならば1年は開けたいと。 でも、私には時間が無かった。 高齢出産のカウントダウンはもう始まってましたから。 で、医師にはなるべく影響の少ないと思われる薬剤を出してもらい、減薬。 断薬して、お守り替わりに頓服をもらう日々が続きました。 結婚、引越しと環境がめまぐるしく変わる中での減薬・断薬は、かなり不安感も大きく、頓服を飲もうか迷うくらいの時もありましたが、何とか踏ん張りました。 旦那のおかげだと思います。 一番酷い時期を知ってる人だから、少々では動揺もせず。 寝込んでも咎められもせず。 ストレッチしろ、歩いて体力つけろとかは言われましたが。 幸せだなと思う気持ちと、時折ブワッと不安感が襲う時と、かなり変動が酷い時期ではありました。 断薬して4ヶ月ほど。 自然妊娠。 医師には渋い顔をされつつ、カウンセリングと頓服で過ごしました。 私はかなりのハイリスク妊婦の状態でした。 30代後半という高齢での初産、うつ病の既往歴、しかも断薬からあまり間を置かず。 叩かれるかもしれませんが、子供の出生前診断もしました。 染色体異常や肢体が正常かを調べる物です。 当時はまだ新型出生前診断が受けられなかったので、羊水検査までやりました。 お腹の穿刺をした翌日は、お腹が張って、脂汗が出まくる状態でした。 いい事と言えば、羊水検査までして性別が確定していたので、ベビー服を選ぶのが楽だった事くらいでしょうか? そしてこの妊娠初期から中期にかけて、ものすごく不安定になりました。 あまりの不安定さに、旦那との仲もかなり悪化しました。 多分、夫婦関係では一番ヤバイ時期だったと思います。 離婚も考えるほど。 悪阻も酷く、精神的にも参る日々。 頓服を飲みたいと、どれほど思ったか。 でも、その度に子供に負担が…と踏み止まる状態。 何とか出産まで、頓服はお守り替わりのまま、飲まずに過ごしました。 本当に辛かった。 一人目の妊娠の時期は、かなり辛く、二人目を躊躇するほどでした。 もう一度、あの暗黒時期を過ごすのかと思うと……泣きながら二人目なんて無理!と旦那と話し合った事も。 まあ、これは産後の話なんでまた別ですが。 上の子の妊娠期は、幸せなマタニティライフとは、とても言えませんでしたね。 産婦人科と心療内科で、何度話しながら泣いたやら。 あの時期を乗り越えられて良かった…。 そして、出産の時も、また色々あったんです…。 長くなったんでまた次の日記で。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年07月17日 22時03分51秒
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