デジャブ
最近の私は自分が赤ん坊のころのアルバムを見るのが好き。写真の整理が得意な父のおかげで、実家のアルバムはきれいに時系列で並んでいる。何年何月ごろは~というと、即見つかるという便利さ。去年の夏トモを出産してからの私は、実家に行くたびにもっぱら自分が生まれたころから2,3歳くらいまでのアルバムを繰り返し繰り返し見ている。出産後、退院したその足で実家に向かい、一ヶ月過ごしたときには生まれたばかりの自分の写真と、生まれたばかりのトモとを見比べては似ている似ている、とそのたびに何だか幸せな気持ちになった。撮った枚数が少ないおかげで、私の写真は笑顔のものだけでなく、泣いているもの、ぐずっているもの、眠そうなもの、ただぼ~っとしているものが並んでいる。ごくごく日常の風景がそこにはある。それらのあちこちに今のトモの面影が重なり、生まれたばかりのトモの世話をしながら、私は何だか自分自身を育てているような気がしていた。そして、その感覚に癒されている自分を感じていた。小さなトモが愛しくて愛しくて、抱きしめてあやしておっぱいを飲ませて…そうしているうちに、自分を愛情いっぱいに育てているような気がしていた。少しずつ成長していくトモ。表情が豊かになってきて、意思がはっきり伝わるようになってきた。そして、その表情に今度は以前見た自分の写真の面影が重なる。ああ、この表情は知っている、この顔は知っている。何だか懐かしいような気持ちを抱えながら、写真の私の笑顔の記憶がトモの笑顔に変わっていく。