驚異の抜け参り ~幼児が無銭旅行できた時代~
昨日、会社でダイエーvsヤクルトのオープン戦のチケットをもらったので、今日は仕事帰りに子供たちと合流して見てきました。結果はボロ負けでしたが、なんで福岡ドームってオープン戦ですら満員なんだろう?(^^; さて、セキュリティの話が出たついでに、、、 うちの娘も、今度の4月からいよいよ小学校に通学と相成りますが、通学時の事故やら、妙な事件にまきこまれたりといったことを心配されてる親御さんもきっと多いことでしょう。特に、可愛い女の子の場合は(そう、うちの娘のように!・・・笑) 僕が小1の頃は、片道30分の道のりを通学してましたが、誰もそんなことを心配してなかったですね~。まあ、田んぼ沿いののどかな田舎道で、おたまじゃくしやらトンボやらと戯れながらの楽しい通学でした。車が走る“舗装道路”は全体の1/10程度だったし、そもそもめったに車は通ってませんでした。 昔は、今ほど親が子供のことを心配してなかったんじゃないかと思いますね。親自身も生きるので精一杯だったし、子供は社会全体で育てるものという概念も、今よりはるかに強かったと思います。 最近、座右の書となっている『大江戸ボランティア事情』(石川英輔/講談社文庫)を読んでいたら、驚くべきことが書かれてました。それが抜け参りというやつですが、歌舞伎の好きな方は、『弁天小僧(白波五人男)』の忠信利平のセリフ※1で、言葉くらいは聞いたことあると思います。 その説明の前にまず前提として、江戸時代は、学校で習ったように、庶民は「生かさず殺さず」政策で重税にあえぎ、武士階級から搾取されて、文句を言うと切り捨て御免だし、逃げ出そうにも関所があちこちあって、簡単に旅にも出られない・・・・という時代ではなかったんです。そもそも、幕府にしろ藩にしろ、権力者側が圧倒的に人が少なくて、とても細かいところまで目が行き届きません。自由社会であるはずの現代の方がよっぽどよっぽど!管理社会です(小学校すら自由に選べないなんて・・・)。 話が逸れましたが、実は江戸時代の人々(武士を除く)は結構旅をしていて、なかでも「おかげ参り」と呼ばれる伊勢神宮への参拝というのが、ポピュラーだったようです。これは明治以降の権力と結び付いた信仰ではなくて、あくまで自然発生的なものです。 ピークだった文政13年には、総人口3千万人のうち6人に1人、すなわち5百万人が、全国から伊勢神宮を訪れたそうです。人口の8割が農民で、しかも皆基本的には徒歩旅行ですから、これは驚異的な数字と言っていいでしょう。 では、みんなそんな長旅に出られるくらいリッチだったのかと思いきや、実はそうではなくて、無銭旅行者がかなりいたようです。お金がなくとも旅に出られたというか、生きていけた社会なんですね。 現代では考えられませんが、あの時代は「他人に施しをすると、いつか回り回って自分を助けることになる」という価値観がベースにある社会なので、そういうことが成り立つんです。今でも、たとえば四国のお遍路さんを援助する風習が沿道には残ってるそうですね。肝心の伊勢地方にもこんな風習が残ってるのを知って僕は嬉しくなりました(やまじさん、ありがとう)。 それで、ある年に京都所司代が、京都を通過するおかげ参りの人数を数えてみたら、1ヶ月で5万人強。さらにそのうち、親に伴われずに旅をしている5歳!から15歳までの子供が、3分の1強(18,500人以上)。 こうした子供だけの伊勢参拝を、抜け参りというんだそうです。 これらの子供の多くも無銭旅行者と考えられるわけですが、信じられますか? どうかすると数ヶ月もかかる徒歩旅行に、子供を一人でお金すら持たせずに行かせるなんて! もちろん、中には妙な事件に巻き込まれたり、無事に戻れなかった子供もいたことでしょうが、これだけ大勢の子供が伊勢を目指してたということは、親または子供本人が、そうしてもまあ大丈夫だろうと思っていたことを意味します。 ものすごい安心感だと思いませんか? 「なんとななるさ」という感覚の、なんとまあ骨太いこと! わずか10分かそこらしかかからない通学路でさえ心配する現代人には想像もつきませんね。 別に、過去に戻れ!と言うつもりはありませんが、わずか5,6世代前の僕らのご先祖様がそれだけ安心できる社会を築いていたことは、十分誇っていいと思います。そして、なにかにつけ不安が一杯の、現在の社会状況を乗り越えるヒントなり視点なりも、その辺にころがってると思ってます(^o^)v※1 忠信利平(ただのぶりへい)のセリフ続いて次に控えしは月の武蔵の江戸そだち、がきの折から手癖が悪く、抜参り(ぬけめえり)からぐれ出して旅をかせぎに西国を廻って首尾も吉野山、まぶな仕事も大峰に足をとめたる奈良の京、碁打と言って寺々や豪家(ごうか)へ入り込み盗んだる金が御嶽(みたけ)の罪科(つみとが)は、蹴抜(けぬけ)の塔の二重三重、重なる悪事に高飛びなし、後を隠せし判官(ほうがん)の御名前騙り(おなめえかたり)の忠信利平。ちなみに、「知らざあ言ってきかせやしょう」「問われて名乗るもおこがましいが」といった言い回しも、この演目で出てくるセリフです。