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カテゴリ:仏教、神話、哲学
考えてみれば十二因縁のそれぞれのパーツはほぼ表層意識なんだよな。
愛とか取とかはやや深めだけど、やっぱり表層意識にまで上げてきて自覚できるレベルなんだ。 もし睡眠状態であったなら? 無明のいう概念自体持たないだろう。 停止しているなら行も起きない。 識=決断・判断もしない。 名色も我関せず。 六処?外界と我を分けたりなんてしないよね。 触、受はあからさまに外界からの情報受信です。 外界からの刺激で起こされるということはありますが、睡眠そのものの本質とは関係ないでしょう。 愛、取、有、生、老死 外部からの情報キャッチの結果、差別世界・分別世界に生きる、そして死ぬことが生じます。 しかし睡眠時は覚醒してませんので、分別は生じません。 全ては一体な状態なのでしょうね。 生物の本来の姿が睡眠。 覚醒とは特殊な状態なのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年09月11日 23時29分40秒
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