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以前、わたくしの友人で、神学部の先輩である、宮越俊光氏の『早わかりキリスト教』を紹介しましたが、11月30日付で、やはり、神学部の大学院の先輩で、神学博士の石井祥裕氏による新刊
が、パピルスあいから発売されます。そこで、この新刊について、ご紹介したいと思います。 この『神とともにある生活』は、「カトリック生活」(ドンボスコ社)に連載された記事を中心に、そのほかの記事も加えてまとめられたものです(あとがきより)。石井氏は、一貫して、信徒・会衆の一人としての立場から、典礼を単に儀式・祭儀ではなく、生活に密着させたもの、著者のことばを用いれば、「ライフスタイルとしてのキリスト教」「キリスト教を生活の様式としてとらえ」ようとしています。 本来、キリスト教=信仰生活は、神学的な議論や法的規定が先にあったわけではありません。氏が指摘しているように、「教会の実践は、神学上の議論よりもはるかに広く、かつ、生きたものなのです。ある実践形態が神学や典礼上の問題として浮かび上がるかどうかは、教会の置かれた状況によっているのです」(同書51ページ)。 PART1は「入信のミステリー-キリスト者となるプロセス」を、イエスの洗礼にまで遡り、古代教会の実践なども十分に考察し、洗礼-堅信-聖体という入信の三秘跡を、いかに共同体として豊かな体験にするかを主眼にとらえています。 PART2の「神の民のまつり-一年のめぐりの中で」は、氏が研究課題ともされている、聖書朗読に焦点を当てながら、教会の典礼暦を振り返り、オーストリア留学中の体験も踏まえて、典礼を生活に密着したものにできるかを考えています。 PART3「展望-キリスト教の未来を開くために」は、本書のまとめというよりも、氏の研究と実践の集約とも言うべきもので、過去二千年の教会と典礼を反省し、これからの教会と典礼への助言となっています。 第二バチカン公会議以後の典礼については、とかく解釈が分かれますが、氏も冒頭で書かれているように、「以前は信者が儀式の主要部分を担うことが少なかったものを、信者が積極的に分担し、参加するという、教会の歴史からすれば、本来の形に立ち返った、共同体的な礼拝行為の正確を明確化したところに特徴があります。」この『神とともにある生活』は、平易な文章で書かれ、一項目も短いものですが、『聖書』と古代教会の資料に基づいた=それはまた、教会の歴史と伝統の本質に遡り、反省し、踏まえており、教会の典礼の実践の歴史の豊かさと深さを伝えてくれています。 前教皇ヨハネ・パウロ二世の広島での『平和アピール』に「過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことです」という一句があります。これからの典礼を考えるとき、この数百年の出来事や、現代の法的規制にだけとらわれると、教会の典礼の伝統の本質を見失う恐れがあります。教会の実践と伝統の本質である、『聖書』と古代教会の歴史までを振り返ることこそ、典礼をわたしたちの生活そのものにするためにもっとも大切なことです。 その意味でも、教会の実践と伝統の本質である、『聖書』と古代教会の歴史から典礼を省察した、この『神とともにある生活』は、典礼・信仰を生活そのものにするための、よい道案内をしてくれる座右の書ということができます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.11.28 19:48:03
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