|
カテゴリ:聖歌一般
小教区では4週間に一回 オルガン奉仕をしていますが いつも気になることがあります。それは 祈りのテンポです。とはいっても 四分音符= というような 速さのことではありません。祈りの文言 テキストが長いものに関して どうも「歌い飛ばす」傾向が 多々聞かれることです。
一番 気になるのは「回心の祈り」と「主の祈り」。「回心の祈り」は 普段から 唱えて祈るということはありませんが 「主の祈り」は ミサや教会の祈りでのように 旋律や伴奏をつけないで 唱える場合にも わたくしの感性からすると 皆さん 早口で唱えるように感じます。普段は口に出しませんが 「その速さで 祈りを味わって唱えていますか。その祈りのテキストの場面を 目の前の出来事として 実現できていますか」と 問いかけたくなることがあります。 「主は皆さんと ともに」「また 司祭とともに」というような 対話句は テキストの文言が短いので 比較的歌い飛ばすことはありませんが テキストが長いものに関しては しかも 覚えてしまっている分 歌い飛ばす というよりも「祈り飛ばしてしまう」傾向があるのではないでしょうか。それが 特に目立つ(聞いているから 耳だつかもしれませんね)のが ミサの場合には「回心の祈り」や「主の祈り」というわけです。これらの祈りは 旋律もそれほど複雑ではなく 同じ音が続くことも 祈り飛ばしてしまう一因になっているのかもしれません。 しかし 本当にそれでよいのでしょうか。例えば「回心の祈り」のテキストを見てみましょう。 「告白します」の 次の「わたしは」ということばは だれでもない この「わたしは~~~罪を犯しました」という意味で しっかりと自分自身を見つめて思い起こして祈ることばですから 決して スラっと歌い飛ばすものではありません。ゆっくりと自分自身を見つめて丁寧に「わたしは」と告白を始めるものです。その先の「聖母マリア すべての天使と聖人」も ある程度の速さは必要ですが 今 わたくし(たち)とともにいてくださる 聖母マリアとすべての天使と聖人の実存を感じて 祈っているでしょうか。さらに その先の「そして 兄弟の皆さん 罪深(ふか)いわたしのために 神に祈ってください。」という 兄弟姉妹への祈りの嘆願を 心から頼んでいるでしょうか。 主の祈りでも同じことが言えるでしょう。一番 陥りやすい「祈り飛ばし」は 最初の文章 父への呼びかけです。「天におられるわたしたちの父よ」という この呼びかけ ともすれば 祈り飛ばして 時には司祭の祈りの招きの倍の速さで始まることもあります。しかも 最後のリタルダンドがかからず 「ちちよーー」となってしまうことも。これでは 天の父にこの先の祈りを聞いてもらうためのものではなく 目の前にいる出来損ないのおやじの胸倉をつかんで怒鳴り散らすようなものです。本当に 天の父に呼びかけが届いているかどうかを確かめながら きちんと祈るならば 司祭の招きのことばと同じくらいかやや早めに初めて 最後は リタルダンドしながらディミヌエンドして 天の父の前に呼びかけが静かに届くように祈るものではないでしょうか。 主の祈りの真ん中にある「わたしたちの日ごとの糧を 今日もお与えください」という文言も 今日も満足にわたしたちは食べ物を買うことができてありがたいです という意味ではありません。イエスの時代も また 今日においても 天の父が想像された 同じ 人類の兄弟姉妹の中には 特に 多くの小さな命が その日の糧を得られないで 息絶えて行っています。そういう 兄弟姉妹のことを もちろん 同じ地平に立って 同じ境遇になって 苦しみを共有することはできないとしても 彼ら彼女らのことを思い起こし 神の恵みと平和を祈っているでしょうか。 わたしたちは どうしても 繰り返すことによって それが「習慣」や「常識」となり無反省に 行動することが多々あります。祈りの文言 テキストでも 慣れ親しんだ祈りほど 実は「習慣」になって そのことばを味わうことなく祈り飛ばしてしまう危険があるのです。だったら 祈る回数を減らせばいい ということではありません。祈りを歌うとき その祈りの文言 テキストを まずだれでもない「わたし」がしっかりと味わって 神との対話を深め その祈りにふさわしい 速さ 強さ 丁寧さをもって祈っていかなければ 祈りで口にする神のことばは 単なる音声で終わってしまい 本当に「神が語られたとは すべて実現する」ことにはならないのではないでしょうか。 聖書のことば 神のことばは「すべて実現する」ものです。それは だれかが口にしたときに とりも直さずこの「わたし」が口にしたときに実現するものです。聞いた人が味わえるように祈ることは まず 自分がしっかりと味わって その祈りにふさわしい 速さ 強さ 丁寧さで歌って祈ることから始まります。わたしたちの祈りのことば 神のことばが目の前の出来事として実現するように。日ごろから 祈りのことばへの知的欲求 祈りのことばをふさわしく祈る品性と感性を磨いていきたいものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.02.16 16:02:00
[聖歌一般] カテゴリの最新記事
|