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感情の排出でありメモですから スルーしてください。
スーザンとのセッションですが レコーダーを聞き直してみましたが やはり おかしい。 エネルギーを流してブロックを解放するからと言いつつ 「自分で解放しなさい」と言い、 足裏が木(根っこが生えた感じ)になっていると言うと 「それは 木が私を自由にするために押し上げて 手伝っている」といったかと思うと お能のイメージが浮かんだので 伝えたら 通訳さんが間違えて「斧」と伝えちゃった。 すると 私の「自由を奪っているから その斧で木を切った」と言う。 え?え?? 木は私をサポートしてくれてたんじゃないの? 縛っていたの? 仮にサポートが正しいとするなら なぜ切ったの? そんな私の疑問をよそに 「斧で切ったから もう自由よ」と言い 「私のエネルギーは穏やかなエネルギーで それを送ったから もう それは誰にもあげちゃダメよ」と言う。 お能よ 斧じゃないわ! 改めて指摘すると 日本の伝統芸能である お能を知らない。 歌舞伎ほど激しい動きはないが 同じように日本の伝統芸能である。 ダンス? というので ラテンダンスのように激しいことはないが 陰と陽で言うなら 外は陰だが中は陽だ。 外に激しくないだけで 実は中にとっても厳しい動きなのだが よく分からないから ガイドや天使からの言葉も 正確には伝えることが出来ないのか そのことについては触れてこない。 見えたビジョンを全て話してというから 話したのに それは無いんじゃない? 挙げ句には 自分でブロックしてると言われた。 それは分かってるわ! そんな不信感一杯の相手には 自分で無意識に アンジーから習った妖精の白い輪で 勝手に防御するらしいから私。 あぁ また 勝手にやっちゃったなと なぜか自覚があった。 人間 得体の知れない物を見聞きしたとき とる行動には2種類あると思う。 一つは 怖い故の行動。 もう一つは 怖いんだけど興味の方が勝る まさに怖い物見たさ。 なのに なぜか ブロックを怖いからに片づけるのは何故なんだろう・・・ 英語と日本語の差なのだろうか。 日本人の感情の幅と 欧米人の感情の幅の差だと思うんだけど。 右脳と左脳の差。 よく聞くのが こんな話。 フィン・フィルやN・Y・フィルなどの海外の有名な交響楽団のため 秋の虫の音を聞いて リラックスして貰おうとホテル側が用意した。 しかし 彼らは「あの雑音消してくれ」と言ったという。 ホテル側には分からない。 いくら耳を澄ませても 聞こえるのは鈴虫やコオロギなど 虫の涼しげな音色だけ。 ホテル側は考えた。 あれだけ素晴らしい音を奏でる人たちだから もしかして 私たちには聞こえない外の たとえば工事の音などが 聞こえてるのだろうかと 外に見に行くが工事などはしていなかった。 一体なんだろう・・・ ホテル側は彼らに聞いた。 すると あの 涼しげな音色にしか聞こえないあの音の方向を指して 雑音と言ったのだ。 私たち日本人も 夜の虫の音をうるさいと感じることはある。 それはあまりに しーんとした中で 彼らの音色だけは ものすごく響くからである。 だから 私はスーザンに それは怖いで一蹴されたとき ふと それを思った。 感情の幅が違う故に そう判断されているのかなと。 スーザンのガイドは あくまでもスーザンのガイドだから スーザンの感情の幅で物事を伝えるだろう。 それが一番 スーザンには分かるのだから そうすると思う。 そうじゃなかったら スーザンのガイドである意味も また 無い。 お能と私が言ったとき スーザンのガイドは スーザンに わかりやすいビジョンを 渡せなかったのか? はたまた ビジョンは 或いは スーザンの理解の範疇を越えていたのか? いつもなら その間合いを 私にはわからないように ガイド同士でやりとりしている そんな気がしてた。 だから ブライアンにしても 言葉を濁した風になったこともある。 それが なぜか 多分 もう 不信感で一杯になってしまった というのも理由の一つだろうけど スーザンには無理なんだ と感じた。 クツミのことを聞いたら クツミのエネルギーは ばかげているという。 すでに このとき 感情や表現の幅の差によるものだと 気付いていたから クツミのエネルギーをそう感じたというのを 軽いというかお調子者という感じなのかと 聞き直したら ばかげているという。 それって 人間判断でしょ? 思いっきり! つまり マスタークツミをバカにしてるって事でしょ? 私から瞬時に出た怒りやら悲しみやら驚きを悟ったのか 「『夢でたくさんメッセージを受け取っている』 と言ってるわ」と言った。 うん、だけど 記憶してなかったら意味がないから セッションの冒頭でどうした良いのか 何か良い手立てはないかと 聞いたのに。 メッセージは 一ヶ月で5つも来ることもあれば4ヶ月も 来ないことがあると答えるスーザン。 それは分かってる。 だからこそ ちゃんと理解しておきたいから方法を聞いてるのに。。。 もう悲しいやら怒りやら 驚きやらがごちゃ混ぜに噴出した セッションでした。 友人にメールすると ひっくり返されるのが目的で荒療治な 気がする という返事が来た。 むしろ 友人の方が より ぴったりの事を言ってくれてる。 ハイ 見事にひっくり返りました。 どんなに神というか唯一絶対のソースにアクセスしてようと それを受け取るのは人間である以上 その人間の経験に基づく 物がないと 正しいソースが伝わらないのだということ。 いわば翻訳です。チャネリングは翻訳です。 たくさんの言葉がないと 正しくは伝えられない。 悲しみで一杯になってる私を 見る(察知)ことが出来ないばかりか 自分のエネルギーを送って 私のエネルギーは穏やかなのって・・・。 そんなセッションは お金が勿体ない。 私は少なくともそう言うセッションをしなければ良いんだ。 反面教師だったんだ スーザンは。 なんて書いていたら ふとブライアンがセドナで言った言葉が 過ぎった。 私には隠し事をしても意味がないと。 (壁に耳あり障子に目あり) ところが スーザンから セッション後 雑談混じりに教えてくれたことは本物だと思えた。 それを 一つ お伝えしますね。 集中するためサードアイ(眉間)に指を置き 目を軽く閉じて集中し 自分が違うとわかっていることを 自分に質問してみる。 すると 人によっては サードアイ或いはサードアイ近辺が 痛くなったりする。 また反対に 自分が正しいとわかっていることを自分に聞く。 すると 今度は 眼球が左右に動く感じを受けたりする。 人によっては サードアイ近辺が正しく 眼球近辺が違うものだったりする。 ちなみに私の場合は 正しいと視神経を筆頭とする痛みを覚え 間違っていると サードアイの下方に違和感を覚える。 これで あっているかどうかという判断を ペンジュラムなしでも50:50の判断は出来るという訳だ。 なるほど! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.05.13 22:58:28
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