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カテゴリ:☆Spiritual
スピ友達のセッションを久しぶりに受けてきました。
そこでこんな話が。 私は数秘術で言うと ”3”なのですが ”3”の人って 「キャパが狭い!」らしい(笑) それを 友人は一生懸命言葉を選んで 言おうとしてくれました。 でも キャパが狭いって 他にどういう言い方がありますか? あるかもしれませんが 最初にキャパが狭いって 言ってしまった以上 それ以外の言葉が浮かばない友人。 なぜ 言葉を選んだかというと 「3」の人って そういうと怒り出すそうです。 その根底には 自分は相手に寄り添い考えているという 自負があるからなんです。 誰からか話を聞く すると 出来るだけその人の 心情なりを一生懸命イメージするのです。 「もし 自分だったらどうか・・・」とか。 それって 自分にないモノに対して一生懸命広げようと する行為だから キャパが狭いとは思ってないのです。 だから そう言われると腹が立つのです。 だいたい 腹が立つということ自体が キャパが狭い 訳ですが・・・(^^; あぁ 言い方が見つかりました。 一生懸命過ぎちゃうんです。 その人に寄り添いすぎて 周りが見えなくなってしまうんです。 こんな感じでいかがでしょうか? そう言う人を多く見た友人だから「3」の人に それを伝えるときに 言葉を考えてしまうそうです。 でも 最初も言いましたが キャパが狭い は キャパが狭い の一言に尽きると思うのです。 それが 解る私は 聞いたとき 大笑いしました。 解る~~~♪ キャパが狭いんだよね~確かに!!(笑) でもさ それが 私なんだよね♪ 相手に一生懸命になるのも私。 それによって 見えるはずのモノが 見えなくなってしまっているのも私。 すると 友人は言いました。 「3」の人で そこまで自分を理解している人って (少なくとも彼女は)今まで会ったことない、と。 自分って何だろう・・・ そうやって自分探しをするのも 私の青写真だから。 だからこそ 自分に出来ないことを出来る人を 羨望のまなざしで見てしまう反面 悔しい気持ちを 持ってきたのですから。 でも 出来ないことでも いずれ出来るモノもあるし 出来ないままのものもあるのです。 それも 解りました。 また 友人が言いました。 「私も (スピで言う)見える人って良いなって思ってた。」 「でも 見えないものは見えないし って手放したら 反対に見えるようになってきた」と。 良いなと それについてしがみついているうちは 出来ないんですよね。 それも解りました。 友人の中には オーラがすっかり変わってしまって 食べられるものが極端に減ってしまった人がいます。 リズ・ブルボーさんが言います。 「<からだ>に聞いて食べなさい」 〈からだ〉に聞いて食べなさい まさに 彼女は毎日毎食 ほぼ 直感ともいうべき ガイドの声に従って食べています。 だから マクロビオティックのガイドラインも 合わないのです。 玄米はダメなんです(彼女の場合)。 まだまだ 地球でやるべきことがあるから アセンションに沿ったものだけだと やるべきことを 終える前にアセンションしてしまう。 だから ある程度 地球の色々が詰まったもので なおかつ 安全なものなのです。 それって 安全なもの以上に 探すのが大変です(--; 完全に安全なものって たぶん それそのものが 絶滅したような形を取って アセンションしてしまってると いう気がしています。 「3」の人は 頭で解ってる は いくらでもあるんです。 しかし 相手にすれば それは 時には上から目線に感じてしまう。 それで その反発を受けて 孤独になるのも「3」の人。 わっはっは!(笑) そうそう!そうなのよ!! もう笑うしかない。 このジレンマに填って苦しんでいた頃を考えると もう笑うしかないのでした。 反発を受けても それに気づかないのも「3」の人。 だって 自分の考え得る限り相手に沿ったんですもの! なんで 反発されるの?? 頭に はてなマークが飛びまくります。 相手も 自分の話を聞いてくれた相手を あからさまに邪険には出来ませんから ゆっくり 遠ざかる。 余計に「3」の人は はてなが飛ぶ。 あー 悪循環・・・ でも 振り返って考えてみると ちゃんと それに気づかせるための布石はありました。 「○○じゃないから わからない」と答えたタイ人の友人。 「自分にない経験だから・・・」と言葉を濁して 自分の意見すら述べなかった同僚。 etc。。。 その時 私は なんて人なのと 不快な思いをした。 それらが 今になって こういうことなのかと 繋がってきた。 ちなみに わからないことを わからない と 答えることが出来ないもの(したくない)このタイプ。 だって 何度も言いますが 相手に最大限寄り添うから。 自分が解るよう たくさん質問し 色々な経験を思い出し こういうことだろう あーいうことだろうと。 沢山考えたあげく 下手すると話を最後まで聞かずに こういうことでしょう とまとめてしまう。 そして アドヴァイスをする。 相手は もしかしたら ただ 話を聞いて欲しかっただけ かもしれない。なのに・・・ そりゃー 相手も逃げるわよ!(笑) こんなやりとりを友人とした。 もう終始笑いっぱなしでした。 過去を思えば 思い当たることもあるでしょう。 でも それが私で それがなくては私じゃないのです。 それらが 踏み台となる要素だったから。 そこから 私は学ばなくてはならなかったから (或いは 学びたくて)それらが起きた。 宇宙からすれば 私が望んだから 起こるべくして 起きたことなんですよね。 本当に 宇宙の仕組みには ここのところ 驚かされ続けています。 解るときに解るんだ と思っていたけど 先を知りたくて ブライアンに聞いてみたりしたけど 彼は私の学びを妨げることはしなかった。 見えていたかもしれないけど 妨げると解ったから 言わないで居てくれたのかもしれない。 或いは 言わないで欲しいと 私のガイドが 言ったかもしれないし 或いは 見えないよう ガードしていたかもしれません。 完全に見せてなかった そんな印象を受けていました。 言葉を濁すことが多かったから。 常に宇宙は「最高で最善」の量とタイミングで 物事を寸分の狂いもなく これだけ多くの魂の要望を スケジュールしています。 私だったら出来ないわ~。 だから 私は 我が儘を言うだけです。 宇宙に向かって ただただ あーしたいこーしたいと 願望を言うだけです。 それでも 聞いてくれる。 それの是非というか可否というかは 宇宙が判断すること。 アセンション という大きな軌道があるから 今はそれに則ったことが メインかもしれませんが それでも 我が儘言いたい放題の私。 いいの!それが私だから。 私が私らしく生きていくことが 今の私の使命だから。 神は 自分と同じ姿で 人を造り賜うた そういう言葉を聞いたことがあります。 私のように むくむくかしら? それともナイスバディなのかしら? 会うのが楽しみだわ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.10.02 14:57:34
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