悲しいこと (*PД`q。)*
コンニチハ!!(゚Д゚*)(。_。*)ペコリ またまた、ご無沙汰しちゃってすみません。。。 実は先月末、祖父にひき続き大好きな祖母が亡くなりました。 気持ち的にも余裕が持てずUPができませんでした。すみません。 まだ、色んなことがあふれて涙がでそうな日々です。 お葬式の朝、季節はずれのウグイスが鳴いてました。 祖母の着ていた着物もウグイス色。 ・・・なんだか、神秘的な気持ちになりました。 さて、うちの3WANは元気もりもりですよっ この暑いなか、わざわざ日の当たる窓辺へいって外の見張りをしてくれますッ(*´艸`) クァルを見て何かお気づきになった方は次回をお楽しみにね♪ ここから先は、私のひとり事。長くなるのでスルーしてくださいね♪ *--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--* 祖母のこと。 お通夜の夜、祖母の娘にあたる私の叔母から祖母の話を色々聞いた。 祖母が亡くなった後、長年闘病生活の中病院で書いていた日記を読ませてもらった。 祖母は、字が書けない。 幼稚園生が書いたような、ほとんどがカタカナの文字。 私は今までそれを深く考えたことはなかった。 私は、それを読んですごくたくさん泣いた。 祖母は、家の事情により6歳の時に養女として芸者の家へ。 そこではひどい扱いをされたそうです。 他の同じ歳頃の子たちとは全く逆の扱い。 綺麗な着物を着せられ、「何もしなくていいんだよ」と言われる子に対し 一方祖母は男の着物を着せられ、炊事洗濯掃除何もかもを6歳の頃からやらされたと聞いた。 そして戦争。 祖母は、祖父と結婚する前に1度決められた人と結婚しています。 でも、その人は戦時中に亡くなったそうです。 終戦を迎えて、1人者の祖母はアメリカ兵の所へ行かなければならなくなった時、 そこに祖父が婿として来てくれて、婚約したんだそうです。 芸者の道に若くして入った祖父も、大変な思いをしたと聞かされました。 ベテランの祖母と、新入りの祖父。周りからの目も厳しかったそうです。 そんな中、叔母が生まれ。私の父が生まれた時、祖母と祖父は芸者の道をやめました。 祖母は学校へ行く事も、勉強することも出来なかったんだと知りました。 自分で、本を読みながら独学で字を学んだと聞かされました。 小さかった頃、「おばあちゃんの字、へたくそ。」って言った自分がすごく恥ずかしい。 日記には、病院にきてくれた人の名前とアリガトウの5文字。 イソガシイノハハカリマスガタマニハカヲヲミセニキテクダサイネ 忙しいのは分かりますがたまには顔を見せに来てくださいね キョウモイチニチヨイヒデアリマスヨウニ 今日も1日良い日でありますように これは、祖母が休まず毎日必ず書いていた言葉。 祖母は、去年今までいた病院を出なくてはならなくなり 介護施設の病院へ移されました。その病院はほんとうに酷くて・・・ 祖母は寂しがり屋です。同じ病室には、口がきける人がいなく何度もナースコールで看護師さんを呼んだんだそう。 それが原因か、ナースコールは手の届かない位置にあげられ、最終的には電源も切られていたそうです。 祖母は、よく氷枕を使っていましたが、いつ病院に行っても温かくなった氷枕。 祖母のソバにと、枕もとに置くぬいぐるみは全て邪魔だからと棚の上に。 祖母は、この病院に入院してすぐ、私に「家に帰りたい」と初めて涙を見せました。 ずっとずっと、病院にいく度に「なんにも治療はいらないから、家に帰らせて」と言いました。 そのたび、家族は祖母をなだめ、必死で新しい場所を探しましたが受け入れてくれなかった。 あとからあとから、どんどん後悔が募って、なんとも言えず苦しいです。 看護師さんを否定するわけじゃない。 今のこの世の中に問題があるんだと思う。 他にもきっと、同じ思いをしてる人がたくさんいると思う。 少しでも多くの人に、今の現状に目を向けてもらえたらと思って書きました。 ただ、目を止めてもらえるだけでもいい。知ってもらえるだけでもいい。 これからの日本が、良い国でありますように。