やたらと精密にことを運ぶと生徒は伸びない
どこまでも分かりやすい授業、いたれりつくせりの教材を塾の先生はどうしても追及したくなるときがあるが、あまりに精密に事を進めると、意外にも生徒は伸びない。中間試験や期末試験の点数はともかく、受験生になって入試問題をやったり、模試を受けたりすると、定期試験の点数とのギャップに驚くことになる。私はいままで、多くの先生方の色々なやり方を注意深く観察してきたが、大ざっぱな先生が意外に生徒の成績を伸ばしたり、緻密な先生が意外に受験段階で生徒が伸び悩み苦労されているのも見た。もちろん、緻密でありながら生徒を伸ばしている先生も見てきた。「いたれりつくせり」の状態で点数を確保されてきた生徒は弱い。これは私の実感である。例えば、中3の秋以降になると、個々の生徒で弱点も未修得の単元も異なってくる。秋までは全体の弱点の解説をしていけば生徒を伸ばすことができるのであるが、秋以降はそうはいかない。やはり個々の生徒が自分自身で自己の弱点、課題を見つけなければ大きくは伸びない。そういうことの段取りというか、お稽古を中1や中2で積んでいなければ、生徒は途方にくれる。先生が与えた教材やプリントだけをやる日々となり、弱点が弱点のままということになりやすい。このことを分かっている先生であれば、「緻密」に組み立てた中に、「ヌキ」の部分を必ず挿入し、生徒の「たくましさ」を伸ばす配慮をしているはずである。「たくましさ」とはこの場合、自分を見つめ、自分の弱点や課題を発見し、それを克服していく力のことである。それはまさに「生きる力」といってもよい。物量作戦でプリントや問題を配りまくり、やらせまくり、生徒を無理やり難関校へ合格させている塾もある。そういう先生もいる。生徒達は思考停止し、黙々と課題をこなすのみになる。確かにその手法でも進学校に合格させることはできる。しかし、そういうことを自覚してやっているのか、無自覚なのかはわからないが、それは悪魔の手法といってもよいと思う。そういう指導を受けた子らは高校へ行って、自分が何もできないことに気づく。高校へ進学してから、志望校に受かったにもかかわらず、自分が通っていた塾を恨んでいる子もいるのである。確かに高校生にもなれば自分次第だとは思うが、そういうことに気づき修正する頃には結構な時間が過ぎているものなのである。私は卒業してから恨まれたくはない。ああ、あの先生に習えて本当によかったと言って貰いたい。確かに志望校に合格させてあげたいが、大学受験やその子の未来にきちんとつながっていく指導をしたいと思う。「緻密」でありながら「大雑把」、そのあたりのいいところを押さえていきたいと思う。