入試応援にて
今日は京阪神の私立高校入試の日。朝早く起きて生徒達の激励に行った。どこの学校でも目にする「塾の先生の入試応援」というヤツである。この入試応援、塾の先生の美学や哲学によって、賛否両論、様々な意見がおありだろう。あんな応援行っても仕方がないという意見もあれば、行くべきではないという意見もあろう。絶対行くべきだという思想もあれば、行きたくないという発想の方もおられることだろう。ちなみに私はできることなら行ってあげたいと思う派である。それぞれの先生がご自身の心に沿って行動されるのがよいと思うのであるが、一旦行くのであれば、精一杯の言葉や表情を用意し、子どもに最後の励ましをしてあげてほしいと思う。今日私はさる高校の入試会場前で、自分の塾の生徒達を待っていた。恐らく昨年のブログにも書いたと記憶しているが、私は入試会場で生徒が途切れたとき、塾の先生を観察するクセがある。今年も例に漏れずそうしていた。たくさんの塾の先生がいたが、観察していると、その先生の力量は伺い知ることができるものである。たくさんの通り過ぎる生徒の中から自分の教え子を見つけ出し、緊張をほぐし、生徒をいい顔にさせていく先生。生徒と無駄話をしているだけの先生。まわりに気を配れず、他の先生方の邪魔になっても、ずっと場所を取って話し込んでいる先生。色々である。ある若い先生。何人かの先生と一緒に立っていた。塾の旗を時折退屈そうに振っている。表情がよくない。ぼーっとしているのである。自分が何のためにそこに立っているのかの「覚悟」と「自覚」ができていないようだった。「勝負」に向かう生徒をそんな顔をして迎えてはいけない。そんな顔をするのはあなたに「本気」が足りなかったからだと推測する。あるいはそこに立っていることの「意味」を理解していないかのどちらかではないだろうか。受験勉強をやり抜いてきて、彼らは「勝負」の時を迎えている。リラックスさせるために軽口をきくのも構わない。笑わせてあげるのも時にはいい。でも一番大切なのは、彼らの頑張りを理解し、「勝負」の場所へ向かう彼らの気持ちに心を合わせ、敬意を払って言葉を掛けて、彼らに「勇気」を吹き込んであげることだと思う。それがたった一言の言葉であっても、無言の握手であっても、そういうものが伝わるならそれでいいのだと思う。「自分の顔を見るだけで生徒は安心するだろう」なんていうのは不遜な考えである。そういう凄い先生は稀におられるが、そんな先生は自分のことをそんな風に思っていることはめったにない。「俺はここに立っている先生の中で一番素晴らしい先生だ」と念じて、最高の顔をして立ってあげててほしい。歩いてくる受験生の顔を見ていると、不安げに自分の塾の先生を探している子は少なくない。友達と会話をしながら目の端で先生を探している。それをああいう顔をして立っているのはダメだ。そこに立っているということは「入試応援」が必要だと思って来ているということだ。そうであるならば、それは受験生のために塾の先生がしてあげられる「最後のこと」なのだから精一杯やってほしいと思う。まあ、私が一人ここで吠えたからといって何というわけではないのは承知であるのだが。ちょっとそんな風に思ったという話である。