表情豊かな子
表情が豊かな子はかわいい。満面の笑顔が「にこっ」とか「にかっ」とかできる子は誰からも愛されるだろう。表情に乏しい子は可愛げがない。何をいっても無表情で何を考えているのか分からない。表情の豊かな子に比べて損することは多いだろう。子どもの頃、私は表情に乏しい子ではなかったが、愛されるキャラクターというわけでもなかった。初対面の駄菓子屋のおっちゃんにでも上手に話しかけ、可愛がられている表情豊かな友達がいた。私はそんな風なことが自然にできる子が羨ましかった。ムリしてそんなことをやってみたこともあったが、どうしても不自然で大きく空回りをして、逆に疎ましがられたこともあったかもしれない。で、諦めた。今生徒を指導していて、表情の乏しい子に「お前って可愛げないよな」なんてことを言うことはないが、表情に乏しい子、ぶっきらぼうな子は何とかしてやりたいとどうしても強く思ってしまう。だからと言って「笑い方の練習」なんてできるわけもない。できることはせいぜいこちらから「いい笑顔」で挨拶をしたり、表情豊かに接してやることくらいだ。しかし私は元々黙っているだけで眉間にしわが少しよって不機嫌そうに見えることこのうえない。こちらは「今日のお昼は何を食べようかな♪」なんて考えているだけなのに、周りは「今日、kamiesu先生機嫌悪そー」なんて思っていたりする。自分が満足にできないことを生徒に教えるのは難しい。自分が長く苦悩してきて、最後に出した結論は「自分の気持ちを伝える努力を精一杯すること」ということと、「愛されて当たり前と思わないこと」だ。この二つがいつも頭にあれば、表情が乏しくとも、いつも怒ったような顔でもなんとかやれるような気がする。ナチョラルボーンパワーの笑顔を持つ人も、この二つを忘れ、思い上がったら、人は離れていく。こういうことを、ちょっと生徒と話す話題の端々に、授業の雑談の間に、若い連中と飲みに行った酒の肴の話題にちょくちょく話すようにしているのは、その子たちのためでもあるが、繰り返し言うことで、自分が忘れないためでもある。昔の教え子は私をとても怖いといっていたが、彼らが私の顔を思い出すとき、私はどんな表情をしているのだろうか。ちょっとそんなことが気になったりする。