宇仁田ゆみさん『酒ラボ』
農業大学の日本酒の研究室を舞台にしていて、帯に「白石さん(※東京農工大の生協職員ですね)もびっくり」と書いてあったが、それほどおもしろくない。友人が、「本作ではホントに『研究室取材漫画』みたくなってしまっている。行政のパンフレットのよう」と評していたが、あたっていなくもない。 それでも、このマンガに魅かれたのは、一目見て、キャラクター達が垢抜けた嫌味のない顔で描かれていたから。 デッサンは粗悪で、クビと頭の角度がどこかずれていたり、手と腕の角度がやっぱりおかしかったりで、本質的にモノをとらえるセンスがいまいちなのだと思う。 これは余談になってしまうのだが、デッサンがうまい人は、日常的に形をとらえる観察眼、というか観察脳をもっている。そういう捕らえ方ができていない人は、手を描くときになって、自分の手を観察しながら、「この角度では手はどう見えるのか」とかいって描き出すものだから、自分の得意とする角度からちょっと胴体の角度がずれると、とたんにそれに接続する頭、手の位置が不自然になってしまう。 でも、線はフラットなので、全体はとてもきれいで明るくみえる。 そして、読み進めて驚いたのは、たくさんの登場人物の位置づけに差別がないこと。 マンガでも小説でも、主役、脇役には、好悪があったり、そうではなくても、濃い薄いはあるものだ。それはもちろんストーリー展開の都合でそうなる場合もある。しかし、あわせて、作者の思い入れや人間観も反映してくる。 外から客観的につきはなして、描くような作品なら、それとして様々な性格・経歴をもった人物をリアリティーをもって描くことはできるだろう。でもこの作品は、七人もの登場人物の「人の好さ」が内面からじんわりとにじみでるように描かれていて、どの人も、同じ強さをもって輝いているのだ。美術でいう「明度」がいっしょ、という感じ。 いまの時代は、自分や自分の好ましい人物、人生観を、それ以外のものと徹底的に差異化してみて、それをアピールする作品が多い。それは、自分に好ましくない者をつきはなすのではなく、逆に、そういう人たちにたいして「そういう自分の人間観や世界観を知ってほしい」という切なく訴えるものだから、孤独な私達はその痛ましさに共振する。 そうしたなかで、この作者のように、開かれた人間観をもつ表現者はとても貴重だと思う。 というわけで、このマンガは、「へえー、いまどき、こういう作品をかける人がいるんだ。ぜひ作者とお知り合いになりたいな」という気持ちでおもしろく読んだのです。こんなの↓