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2010/02/23
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  [トーク]
      司会:渡邊守章  出演:野村萬斎  茂山逸平


  mureturu-line1.jpg

蝸牛が終って、途中休憩があるかと思ったのですが、そのまま観客は席で待機のまま、舞台上に机や椅子が持ち込まれ、トークの準備となりました。
イッペちゃんは、演目が終ったばかりでお着替えされてるので、司会の渡邊守章先生と萬斎さんだけが舞台に登場されました。
萬斎さんの出で立ちは、黒紋付に変わってました。 髪はちょっと乱れ気味。
もうちょっと、撫で付けて出て来てもよさそうなのだが。。

まず、渡邊先生がご挨拶され、「みなさん良くご存知でしょうが。。」と言いながら、萬斎さんを紹介されました。
そして、渡邊先生が三番叟について、能「翁」の中で狂言方が演じるもので、「翁は能にして能にあらず」という別物扱いであり、三番叟を独立して演じたら「けしからん!」とお叱りを受けた時期があったことなどをお話されました。
今はそういう事を仰る方はいらっしゃらないそうです。
普通、狂言につく囃子はアシライ(会釈)といわれるもので、部分演奏みたく軽いものだけど、この三番叟には笛はもちろん、小鼓方は三人いるし、特別な曲だ。というような事(あやふやですみません)を仰ってました。
そして、アシライ(会釈)っていうくらいですから、囃子方も昔は三番叟も適当に音を組み合わせていたので、足拍子と合わなかったりしたのを、萬斎さんのお祖父様の6世万蔵さんと亀井広忠さんのお祖父様の俊雄さんが今の形を作られたという事でした。
今回の出演者は豪華なメンバーで、笛方の一噌さんは“天才少年”といわれた逸材で、(「今も天才少年」ですと、萬斎さんが仰ってました)、小鼓頭の大倉源次郎さんは今や重鎮だし(萬斎さんが頷いてらっしゃった)、大鼓の亀井広忠さんのお稽古を始めて見た時は、まるでジャス音楽を奏でているようだと、驚いたと渡邊先生が仰ってました。
その秀逸な囃子方が奏でる音に負けないように三番叟を踏む と萬斎さんは仰います。
客席に向かってパワーを送るというよりも、後ろに並んでいる囃子方の方に行った時に「イヤー!」と大声を出してバトルしているのだとか(笑)

三番叟が二部構成になっているというお話を萬斎さんが始められた時に、舞台の右袖から黒紋付に着替えられたイッペちゃんがひょっこりと姿を見せました。
でも、渡邊先生も萬斎さんも全然、気付いてくれず、イッペちゃんは困り顏(笑)
そんなイッペちゃんの姿を見たお客さんが、萬斎さんのお話そっちのけでクスクス笑いを始めたもんだから、萬斎さんも笑う話ではないのに、一体、どういうこっちゃ?という感じで、ようやくイッペちゃんの存在に気付かれたのでした(笑)

「いつ呼んでもらえるんやろ~と思いましたわ」と、イッペちゃんが席に座ると会場から大拍手~。
イッペちゃんは不思議なオーラがありますね。そこいるだけで、場が和やかになるのがわかります。

その後、萬斎さんがイッペちゃんの登場で途切れた三番叟の二部構成のお話を続けられて「揉之段」では畦道を作ったり土地を踏み固めるという事を表し、後半の「鈴之段」では神が宿り、その土地に種を撒いて耕すという表現になっているという事を言われました。

亀井広忠さん(三兄弟)主催の南座の三響會では、イッペちゃんが染五郎さんと萬斎さんに鈴を渡す役をしたというお話を萬斎さんとイッペちゃんがされて、その時に萬斎さんが、「あの鈴を渡される所は、カラオケでマイクを受け取る場面みたいだな~って、いつも思うんだよね(笑)」と、仰って爆笑を誘ってました。
三番叟が、よくお祭りの時に上演されていたという事もあって、「まぁ、ひとつ歌って下さい。」 『いやいや、結構ですよ。』 「そんな事言わずにどうぞ~」 『いいですって~』 「どうぞ、どうぞ」 『そう?それなら~』 な~んて、最後は自分で手を出したりして。。と、面箱持ちから鈴を受け取る所作をしながら、会場の爆笑を誘っていました。
渡邊先生が、三番叟が昔(猿楽の頃くらい昔)、神聖なものにも関わらず、面白おかしく上演した者がいたというお話から、お二人に「まさか、そんなアレンジしたりしませんよね?」と、聞かれたら。。
イッペちゃんが、「え~っと。。“ロックで三番叟”。。をした事があります。」と、言いにくそうにされると、萬斎さんが「ロック!? どうやって?」と、笑いながら質問。
「え。それは、ロックの曲を流して三番叟を踏むという。。まぁ、お叱りも受けましたけれど、正邦がいるからいいかな。。と」
衣装は普段、三番叟で身につけるものでやった。とイッペちゃんが言えば、「ふ~ん。どうせなら、衣装もロッカー風にすれば良かったのに。指にアクセサリーつけたり、頭ガンガン振ったりして。。」と、上下に頭を激しく振る萬斎さんのリアクションが飛び出して、会場は“ロックで三番叟”に驚いたり、爆笑したりと盛り上がりました。
乱れていた髪がより一層、乱れてしまったではないですか~。

その他にも「“ピアノで三番叟”もやりました。 ピアノ曲をバックに。。」とイッペちゃんが言った時、萬斎さんが、「ゴレンジャーもあったよね。」と振られ、 「そうそう。五人で三番叟をやりました。」と言われ、“交通整理が必要”とか、決まった動きがあったの?という問いに、「いや。全く。そのアバウトさが茂山家です。」みたいな事を言って苦笑~を誘ってました。

ロックやピアノの三番叟をされたのは、HANAGATA狂言会でしょうかね。みなさん、お若い時だったし、全てが勢いだったんだろうな。
“正邦がいるから”発言は、彼は千五郎家の直系の直系ですからね。将来、千五郎家を継ぐ者が混じってるんだから、いいだろう~。俺のオヤジは次男だから~。という事ですね(笑)
ゴレンジャーは、南座での三響會。これ、見に行きたかったんですよね。
五人で三番叟を踏むなんて、どないやねん!と、想像すると楽しくて♪

そして、渡邊先生が「萬斎さんは、そういう事はないですよね?」と、言われたら、 「噴水をバックにやった事はありますけどね。水上の舞台で鼓の音に合わせて噴水がドバー!と吹き上がる。そりゃもう、あちこちからドバーッ!ドバーッ!っと(笑)」

「三番叟はどのように伝え聞いて来られましたか?」(こんな感じの質問だったと思うんだけど、記憶が。。)と、渡邊先生がイッペちゃんに聞かれたら、 「え~っとね。それがね。あんまり詳しく聞いてないんですよ。いや、特別なもので、別火をしなくてはいけないとか、そういう事はもちろん聞いていましたけどね。というか、うちのおじいさんはね、“そこはビャーといかなあかん。そこはもっとヌルッとせな。”と、こんな風にしか教えてくれないんですよ。そやから、後でね、自分で本読んだりしていろいろ知ったりするんですが、おじいさんは“そこはもっと足上げ~、声だせ~”、とかそればっかりでね。いや、ホンマですよ。」
いや~。あの千作さんなら、ありえるよな~。と、笑いが止まらなかったです。
それで、「久しぶりに装束を身につけた萬斎さんの三番叟を見ました。凄いですね。」と感心されてました。
萬斎さんが揉之段の間、ずっと「ヤッ ハンハッ」と声を出してらっしゃる事も大変ですよね。と、イッペちゃんが言ってました。
大蔵流では、掛け声はあまり出さないのだとか。。萬斎さんの三番叟は舞踊的だけど、茂山家の三番三は泥くさいらしいです。「ベター」としてるって。


夜の部は、茂山家の三番三に囃子方もどんな風に合わせていくのか、そういうところも愉しんで下さいと渡邊先生がお話されてました。
イッペちゃんは「三番三に余り若さを出してはイケないと言われているのですが、(僕は)萬斎さんより、10歳は若いですからねぇ。若さを生かした三番三になればと思います。」と仰ってました。
イッペちゃんの三番叟は「白い騎士ですよ」と、萬斎さんが仰ってたので、きっと衣装は白色だったんでしょうね。

最後に渡邊先生が、「パンフレットに野村家、茂山家とありますが、何だか任侠の世界みたいだね~」と笑いを誘ってらっしゃいました(爆)

ここから追記です↓
渡邊先生談
“狂言立ち合い”というと今は他流派との交流という意味で使われますが、昔は座と座の演技勝負であり、お互いの足を引っ張ったりして、なんとしても勝たなければいけない真剣勝負の場であったそうです。




もっと、もっと、いろんなお話をされていたと思います。が、記憶にあるのはこれくらい。
お話の内容も前後しているかもしれないし、全然違う言葉を使ってらっしゃったようにも思うし。。。

萬斎さんはトークの間、いつもの癖で着物の襟元を何度もお直しされてました。汗も出ていたな~。
イッペちゃんも、時折、襟元を直されてた。 そのあたりは、能楽師として共通しているのかな。
萬斎さんは質問を受けたりする方の立場だったからか、声のトーンが低かったです。

あっという間の2時間弱。 驚異の最前列の至福の時は終わりました~。
次は4月のびわ湖ホール♪ まだ楽しみが残っていて良かった☆彡






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最終更新日  2010/02/27 09:36:13 PM
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