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2012/02/04
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昨日(2/4)、NHK大阪の番組「ぐるっと関西 おひるまえ」に野村萬斎さんがゲスト出演されました。
残念ながら関西地区だけの放送だったので、どんなお話をされたのか気になっている方も多いと思います。
映像を載せる事は出来ませんが、萬斎さんが語られた内容を紹介したいと思います。
萬斎さんの一句、一句を拾いましたので、読みづらいところも多々あると思いますが、ご了承下さいませ。
萬斎さんはオシャレ~なメガネをかけてらっしゃいました♪ とても良くお似合いでしたよ☆彡


大山武人アナ(以後、『大』と表記します)  「ぐるっと玉手箱」 今日のゲストはこの方です 狂言師の野村萬斎さんです

田中さなえアナ(以後『田』と表記します)  今日はステキなスーツ姿。落ち着いた中にも華やかさもあってステキですね。

萬斎さん(以後『萬』と表記します)  「一応。。この花柄の・・巻物してますけど。首が長いもんですから巻くのが好きなんです。」

『大』 しゅっと。。こう姿勢がやはり。。

『萬』 「ええ。よくこう、物差しが入ってるんじゃないか、といわれますけどね。」(笑)
   座る

『大』  関西には良くお越しになるんでしょうか。

『萬』 「そうですね。近年は大阪にも2回は公演させてもらってますし、京都でも自分の会をしていますし、まぁ、和歌山であるとか、もちろん兵庫県でもしてますしね。ほんとに。。20年前はあんまりしてなかったんですけどね、この20年くらいでホントに会はしてもらっています。」

『田』  関西のお客さんはどうですか?

『萬』 「まぁね、東京のお客さんはね、こうやって斜に構えて、お手並み拝見風な人が多いかもしれませんけど、まぁ、関西のお客様の方がノリがいいとかね、まぁ、こう言い方があっているかどうかわかりませんけど、少しラテン系な熱いものを感じますね。」

『大』  関西のおばちゃんに絡まれませんか? 見てるでーー!アンタぁ!みたいな感じで

『萬』 「まぁ、そうですね。まぁ、多少、飲みに行った時にそういう事言われた事があるかもしれませんね。」

『田』  関西の食べ物で好きなものはありますか?

『萬』 「まぁ、特に大阪はね、食い倒れのね、なんかで東京では珍しく感じられるものでね。あの、お好み焼きとかそういうものもありましたし、結構、桃谷に美味しい焼肉屋さんがあったりして。」

『大』 またシブいピンポイントで(笑)
『田』 お休みの時とかどんな風に過ごされているんですか?何か趣味とかあるんですか?

『萬』 「えぇ、座禅を。。とかな~んていう風に言いたいところですがね(笑) あの、別に僕は普通の現代人ですのでね、みなさんとそんなに変わらなくてボーとしてたりするんですけど、まぁあの、そうですね、ホントに休みの日は昼からシャンパン飲むみたいなね、そういうのがこう、とても僕とすると普段の着物の生活とはすごく離れて優雅に。。普段は昼はお酒は飲まないですよ。休みの日はそうやって飲んでいいのかなと、ちょっと自分のご褒美みたいな感じでね、シャンパンをいただくんですけどね。」

『田』 シャンパンってのがいいですね。

『大』 ではここから萬斎さんの子どもの頃のお話を聞いて参りますが、1966年、狂言師の野村万作さんと詩人の阪本若葉子さんの長男としてお生まれになりました。
『田』 どんなお子さんだったんですか?

『萬』 「まぁね、私、姉二人妹一人ですけどね。あの、狂言師というのは基本男性がやるもんですからね、後継者としては男子が生まれた事を待望された。。ということはありますね。

『田』 何かいろいろとイタズラしたりとかありますか?

『萬』 「小学校だったかな? 中学だったか忘れましたけど、終業の。。チャイムが鳴った途端にバーっと出てって、トイレの中で隠れてたりして、みんなが来る時には用を足したように「よう!」と突然出てきたりっていう、そういう事をしていましたね。しかもそれが女子トイレだったりする。(えー!)まぁ、今たったらね、ちょっと犯罪になると思うんですけど、『休憩時間になったら女子トイレから出てくる私』ってのが好きだったですね。」

『大』 人から変わってるとか面白いとか言われるの気持ち良かったですか?

『萬』 「そうですね。こう、思いよらぬ何か・・・アイデアとか発想が好きですね。普通に常套手段で面白がってもらえるのもいいっちゃいいんですけど、何かこう、思いがけないっていう。。こう予測不能な所っていうのが好きですね。僕は」

『田』 小さい頃、憧れていた職業とかあったんですか?

『萬』 「意外とね、狂言師っていうとどんな事を考えるのかと思われると思うんですけど、最初の頃はコックさんとかね、さっきのシャンパンの話じゃないですけど、何となくやっぱり和の要素が強いので、コックさんになると洋食がたくさん食べられるんじゃないかとか。それからね。まぁ後、稽古の鍛錬のせいかね。下半身とか足腰周りがね強かったですからね。僕、体ちっちゃかったんですけど、相撲が強かったですね。前からね、背の順でいうと6番目くらいだったのに、横綱だったんですよ、小学校の時。大きい人を投げ飛ばすのが気持ち良くてね。図に乗ってお相撲さんになりたいってその頃思ってましたけどね。」

『大』 次のプロフィールに移ります。1970年に初舞台を踏まれます。(靭猿の写真)
『田』 どんな演目のどんな役だったんですか?

『萬』 「これ、靭猿という演目でですね。これ父でこっちがワタクシですね。お猿さんの役ですね。猿回しの猿の役なんですけど。まぁ、3歳後半にこの役をやって初舞台を踏むっていうのがワタクシの野村家の伝統なんですね。」

『田』 その初舞台の事を覚えてらっしゃいますか?

『萬』 「まぁ、覚えてないですね。まぁあの、それこそ猿回しの猿の役ですから飴と鞭の世界なわけですけど、この時もまぁ、終わった後に一応、初舞台のご褒美をいただくんですけどね。当時、ウルトラマンとかウルトラセブンが流行っていたので、ウルトラ怪獣のフィギュアをですね。集めていたわけですね。初舞台が終わった途端にですね、それこそ親戚中からお弟子さん方から一門中から怪獣一体とかもらうわけですよ。一夜にして怪獣園が出来るくらいに全種類が揃ってしまうような・・あのぉ一夜になりましたね。狂喜乱舞したっていう。それを一番覚えていますね。」

『田』 舞台に立つことへの疑問っていうか、3歳ではないですかね。

『萬』 「そうですね。まぁ、幸いにして一族でやっているとお姉ちゃんもお猿さんやってたりしてましたから、そういう意味では抵抗なかったんでしょうけどね。4歳の頃、セリフのある役をやっていて、まぁあの、面白いシーンがいくつかあるわけですけど、子どもは別にどこが面白いとかわからずにやっているわけですよ。お客さんが言葉に反応して笑ったら、お客さんが笑った事がおかしくて舞台上で僕が笑ったっていう、(笑) まぁ、そういう事があったって聞いてますけどね。」

『大』 子どもの頃、稽古ってどういうところから始めるんですか?

『萬』 「そうですね。日本のものですから、まず礼に始まって礼に終わるってところでしょうかね。あの、親子で特に稽古しますから、どこかで師弟。師匠と弟子に変わる瞬間を作んなきゃいけないという意味でまず稽古場。自宅についてたりしますけど、自宅から稽古場に入ったらまず正座をして背筋を伸ばしてまず挨拶をするっていうことで、お互い親子ではなくて師匠と弟子になるんだっていう、まぁういうようなところから始まりますかね。」

『田』 ご両親にはどのように育てられたのか、気になりますが、厳しい方だったんですか?

『萬』 「まぁね、でもね。人の親の育て方まで良くわからないですからね。まぁ今やっと、僕親になって、まぁ、だんだん少し他人様がどんな風にね、子育てなさってるの知りますけど。まぁ、一般的には厳しいということのようでしたね。まぁ特に、先ほど稽古場で師弟になるんだといいつつ、どっかでやっぱり先生だって意識はありますし、まぁ、ちゃんと座っていられるかどうか。まぁ、うちなんかね、父も含めて洋に憧れるんですけど、ですから部屋は洋風な家だったのに、正座が出来なくて困るっていうんでテーブルの脚を四つ切って、お膳の高さにして食事をいただいていたっていうね。そういうこともありました。」

『萬』「これは祖父、六世萬蔵。父と私ですけど、これはちょっと抱き寄せられてるんでこうなってますけど、しゃんとするのが我が家の習慣ですけどもね。」

    (親子3代が映っている白黒の写真)

『田』 おじいさんには可愛がってもらったんですか?

『萬』 「そうですね。小さい頃は、両方。二人に稽古してもらいましたけども、おじいさんは孫を相手に稽古するので余裕があると。親子で稽古するとね親がやっぱり、いろいろ焦ったりとか、もっと出来て欲しいという願いが強くなるので、父の方が神経質な稽古だな~という気はしました。」

『大』 出来なければ怒られたりとかしたんですか?

『萬』 「そうですね。物が飛んで来たり、そういうこともありましたし、たとえば、手を挙げる高さをここにすんのかここにすんのか決めるのに、それが自動的にここになるっていうような事を訓練するわけですよ。上がりすぎれば上からたたかれて、下がりすぎれば下からたたかれて、必ずここに来るっていうような事になるんですけど。」

『田』 一方、お母様はどんな

『萬』 「そうですね。それに対して、うちの母はどちらかというと洋風な家に育った人で、下町育ちの父と違って、庭に犬が放し飼いになってたりってそういう。。お嬢さんでまぁ、ですからあの中学高校のあたりにビートルズとカーペンターズをうちの母が気に入ってたのをソバで聴いていてましたし、シェイクスピアを読んだのを。。ハムレットを読んでみなさいとかいろいろ讀んだものを話し合ったりするっていうそういう母でしたね。」

『田』 そういう影響があってね。次の写真。これは?
    (エレキギターを持ってカッコつけてるお馴染みの写真(笑)登場)

『萬』 「高校だと思いますけどね。まぁ、ロックに。。かなり凝っていましてね。ロックもフュージョンも両方やってましたね。ヘビーメタルのヴォーカルもやってましたしね。これはね。当時、高中正義さんがやっていたころのSG1000というものなんですけど、それをこうやっぱり買って、高中さんのコピーバンドもやってましたし、これはライトハンド奏法というものですけど(笑)」

『田』 じゃあ、一時はそっちの方向にもと

『萬』 「まぁね。そうですね。まぁ、どちらにせよ、人前に立つこととか目立つことが好きだったので憧れましたね。マイケル・ジャクソンを含めてね、いろいろコピーしてましたけど。まぁ、そうですね。指が回らないでギターは諦めたかな。(笑)」

『田』 じゃぁ。高校生活は割と自由に。

『萬』 「そうですね。バンドもしましたし、バスケット・ボールもずっと入っていたので、かなり、遊びたい。。『よく学び』はわからないけど、よく遊んでいた気はします。」



続きはパート2で♪






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最終更新日  2012/02/05 03:52:39 PM
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