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カテゴリ:パニック障害
ちょっと珍しく忙しく、日記をサボりました。すいません。
えーっと、では前回の続きである「休職・退職」の話の続き・・・。 前回:・・・楽しいことをこうして知ると同時に、不思議と、自覚がなかった「今までの我慢」が見えて来た。無意識に自分は何を我慢していたのか、何が苦手で何が嫌なのか、何が楽しく好きなのか・・・。そんなことがだんだん見えて来た。それが先生の勧めた本当の意味での休職の最初の一歩だった気がする。 そこから私は、少しずつではあるが、良い意味で頑固に図太くなっていった。 自分でも「わがままだなあ・・・」と感じるように、その時嫌なものは避け、苦手なものはせず、楽しいことを、更に気が向く時しかしなくなった。 手作りの「造花のアレンジ」もしたくないときはしなかったし、嫌な場所には行かないし、会いたくない人には会わない。待ち合わせなどしていても、『ドタキャン可能性あり』をほのめかし、どうしても嫌なら行かない。カウンセリングさえ予約が入っていても、どうしても気分が乗らないときは行かない。 そして一番の関門であった「母」。 ●ちょっと『関門』の理由を説明してみる 母は私の病を理解しながらも理解したくないという部分があった(認めると自分の育て方を否定されてしまうような怖さもあったと思う)。 本人も勢いが良いので、モジモジビクビクしている私に相当のハッパをかけて、始終焦らせていた。心配もあるし、親子なんで似ているところが多い。特に先生に『一卵性双生児』と言われているような親子だから、こっちが発作で辛くても、心配のあまり何か言い出すと、核心を攻めてくる。 だいたい、通院の最初から、母と「心の距離」が近過ぎることが、私のパニック障害発症の根底にあることを先生から指摘されていた(アダルトチルドレンなのですね)。私の頭に母親が住みついていたわけだ。 そんな私は「母」言葉に影響されやすい。それで、本当に自分が楽しいことや、やりたいことがわからなくなってしまい、全てにおいて「母の好みが私の好み」と無意識になっていたわけだ。ただ、昔から私はそれには、徹底的に反発してはいた。それでも、自分がやっていることが例え正しく良いことだとしても、母の好みと違う自分(反抗している自分)には、必要以上の罪悪感を持ってしまう『私』になっていた。その積み重ねが一番大きな発症の原因の一つだった。 この母と私の関係については、いつかまた特集(?笑)します。 そんなわけで、同じ家にいながらも心の距離を取ることで、「母」に影響されず、とにかく図太く図太くやりたいことしかやらない、楽しめることしかしない、というのを徹底していくことが、先生にもカウンセラーにも言われた、私の休職の一番の『課題』となった。 ちなみに今もリハビリ中ですっ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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