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カテゴリ:パニック障害
発症してから5年超。だがまともに通院&カウンセリングをし始めたのは、症状が大きくなって再発した去年の6月からだから1年半ほど。それでも課題は山積みされている。
なんとなーく、振り返ってみたくなって日記にしてみようかと思う。 とにかく4月から休職し始めてダラダラしている。 確かに毎日会社に行っている人に比べてダラダラだ。 人によっては怠け病とも思うであろう。まあ、病気なんてどんな病も誰にでも可能性があることだが、それが理解出来ない人はそれでいいのだ。 他人に認められなかろうとなんだろうと病気だから病院に通っている。それだけなのだ。 でも、体の病気でもまだこの年で1年以上の通院となれば結構な大病だ。それと同じ。 しかしながら心は結構忙しかったな。 診察とカウンセリング・・・。 心の忙しさは言葉ではうまく説明出来ないけど、生まれてから今までの自分の環境や性格、他人との距離の取り方や価値観・・・、そんなものをこんなに目の前にギッシリ並べてマジマジ見つめることは人生にそうそうたくさんの機会はない。 自分というものが当たり前に存在し、当たり前と思っていたこと、自分には当たり前の行動、そんなものが否定(?)される時だってある。 例えて言うなら、30年以上身に染み込んでいる変な癖を誰かにビデオに撮られて、マジマジと見せられて、『確かにちょっと変だから直したいもんだ。』と恥ずかしながら自覚し、少しずつ直していくようなもの。自覚している癖だってなかなか直らないことだってあると思う。だから恥ずかしかったり、直せなくてイライラ来たりする。そんな感じかな。 ふざけた例えとすれば、素っ裸で自分のホクロの位置と数を正確に確認して、いらないホクロは『削除するかね』って決心し、自分の力で消す感じ(?)。ホクロなんてそんなに全部わかっちゃいない。他人に見えるホクロでも自分にみえていないホクロもある。 とにかく、こんなにじっくり自分を見つめるのは、たまに嬉しい発見もあるけど、たいがいじゃ、嫌な発見だ。 発見しても放っておけるうちはいい。でもそれで病気になったら放っておくわけにはいかない。 それに誰でも『発見』までは簡単だ。開き直れるレベルのこともそれでいい。でも病気に関わっている場合は、そうはいかない。 まず、発見したあと、じっくり解剖して納得して受け入れなければならない。簡単なようだけど、やってみたら大変なことだ。簡単に言うと短所を直すってやつだけど、その短所も、一旦原因究明のために解剖する。じっくり見るのだ。 誰でも大人になると自分の短所はかなりわかっていると思う。でも、カウンセラーやお医者さんとは言っても、他人と一緒にその短所をじっくり「ズームアップ!」って感じで見つめて、自分の目ではない色々な角度から見つめることってそんなにないと思う。だってわかっていてもズームアップしてまでは自分でも見たくない部分もあるでしょ。それも自分のためにやらなきゃなんない。 見つめただけでなく、「フムフム、こうなってこうなってるのか」と納得し、受け入れる。「受け入れる」って簡単なようでこれまた相当大変な作業ですな~!はい!実感中です。 人間は他人のことはわかっても自分のことは一番わからなかったり、一番難しいのですな~。 それから『削除』作業だ。無理に削除するんでなく、無駄なところをカットする。無駄な力を入れず生きやすくするために。これが一番時間がかかる。 これは今も継続中。 ある意味では、病院に行かなかった方が、もしくは行っても薬をくれるだけの病院の方が楽かもしれない。 それでも自分のためなのだ。 そんなこんなだから心は結構忙しいのだ。 なぜなら・・・ 『受け入れる段階』で自分自身にショックを受けることも多い。 短所もわかり、無駄だとわかっていても、なかなか「手放したくない自分」もある。 「それ」を失ったら自分じゃなくなってしまうような気がするときもある。 認めたくなくて、寝転びバタバタしながらモガくときもある。 見たくないものを突きつけられて、しばらくグルグルと頭から離れないときもある。 診察やカウンセリングで出されたヒントを持ち帰って、多少苦しみながら考えてみることもある。 それって、病気の人でなくてもなかなか精神力がいる作業かもしれない。 しかもそこから更に、小さな自分の改造をするのだから。 当たり前だったことを、最初は意識しながらも少しずつ変えていく。考えてみればなかなかのチャレンジだ。 それでも生きやすい自分を創るために、心の解剖はまだまだ続く。 だから誰もわかってくれなくても、これでも私はそれなりに今までよりずっと素直に必死に戦っているのだ! 家族も恋人もそんなとこまではなかなか理解出来ない。 だからたまに悔しくなるけど、それでいいのかもしれない。 私が好きな人達には同じ病気には出来ればなって欲しくないと思うから。私と同じにわかるというのは、「同じ病気になれ」というのと同じ気もするから。 ダラダラしちゃってるけど、これで行動も忙しくしたら、確かにオーバーヒートしちゃうかもしれないと思う。 でも今さえググっと踏ん張ったら、見えないものが見えてくると思っている。そう信じていなきゃやってられなかった。 しかし最近は、実際にそうなっている気がする。 病気の前より、見えないものが見えて来ている気がする。 見えなかった自分も。 一人で治そうとしたらこうは行かなかったな! 『今』を感じ、『自分』を知るために、私はこれでも闘っている。 ★★★ 一旦理解したかのように見えた母も、結構治ったと思いきや、またもや若干の逆戻りをしている私に「都合の良い病気だ(怠け病って言いたいんだろうね)」と言い出した。 そんなもんだわな。 親でさえも、理解するって難しいんだわさ~。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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