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テーマ:★パニック障害★(16)
カテゴリ:パニック障害
今回はマジメ日記(笑)
長いから2回に分けて書いてみる。 今日は診察とカウンセリングの日だった。 私は最近内職をしながらどうにかこうにかやっている。 病院にも電車に怯えて過剰な緊張をしながら乗るもんだから、薬を飲んでいても微発作の状態で、着いたときには「辿り着いた~!」という感じである。 これまた、どうにかこうにかは辿り着く。 今日はカウンセリングで『怒りのコントロールが出来ない』ということを相談した。 私が日記を書かないときは、忙しいか、気分が向かない『何か』があるときで、単純にうまくいっているだけでもない。 母と大喧嘩してみたり、それで具合が悪くなってみたり、将来が怖くなってみたり、微発作が出てみたりと変に忙しい。 ただ、ホント変なところで私なりのプライドと照れなようなもので、「辛いな~、キツイな~」というときは自分に念を押してしまうような、文章にすることで辛さを余計に自覚する感じになってしまうので書かないというワガママ体制でいる。 何となく誰かに慰めてもらいときもあるが、それもそれでちょっと照れがあるのだ。だって、ガラじゃないようで、はずかしいんだも~ん! 話は飛んだが、カウンセリングで話しながら、ハッと気づいてみれば私にとって病の辛さや悲しさ、寂しさ、孤独感、悔しさ・・というものは「3歩進んで2歩下がる」といった感じで、最近は以前ほど病の悲しさや寂しさに過剰に反応しなくなってきた。その部分では発作としても出なくなって来ている。 色んな意味の『諦め』であり、『慣れ』であり、『乗り越えた』という部分もあるんだと思う。良くも悪くもね。 でも、やっぱりググッと踏ん張って乗り越えたとしておこう! そして今大きくまだ残るは『怒り』だ。 たまに歯止めが利かなくなる。 自分を含め、家族や周囲、特に身近な人へのワガママな怒りで、八つ当たり的になったり、上手くいっているものを昔からわざと自らブチ壊そうとするところがある。例えば彼氏に喧嘩をふっかけていくとかね。 それを相談した。 私はアダルトチルドレン→パニック障害という過程からか、どうやら他人に「認められよう」としたり、他人に「確認」したりしようとする作業が多いらしい。 でも普通の人は「自分で自分を認める」「自分で確認できる」のだ。 それが大人なわけだが、私はいまだ恥ずかしながら子供なわけである。 子供のときに成績も良いし『いい子』過ぎた。 何でも出来て当たり前過ぎたからあまり褒められることなく、「ダメなこと」を挙げられることが多かったからだと思う。 例えば家族や彼氏などに喧嘩をふっかけても耐えてもらえるかで、どうやら『愛情確認』しようとするんだな。相手にとっては迷惑な話である。 だからそれが「イカンな、変だな」と『気づき』始めたのはカウンセリングを受け始めてから。だがまだ直らないでいる。 ポーズとして生意気な大人を気取っているものの、中身はどうも『自分だけの判断』にビビッていたり、『自分を守ることや可愛がることが苦手』なのだ。 ある種いつまでも満足しない、『向上心が大きい人』とも言えるが、病気になっちゃイカンわけ。 でもね、先生から意外な言葉をもらった。 「まだ、『怒り』は必要かもね」って。 「怒りも、悲しみや寂しさが一進一退を繰り返しながらやっと少しずつ減って来たように減って行くんじゃないかな」って。 「怒りのパワーはマイナスだけじゃない」って。 私の場合確かにそうなのだ。 「辛い・悲しい・寂しい」が、たまにムクムクと「ムカつく~!!」と変化していくときがある。 例えば、「電車に乗れない。怖い。(ションボリを数時間)」→悔しい→「何で私が電車に乗れなくならないといけないわけーーー-!!(怒り)」→その勢いで乗車→そんなときにはなぜかすんなり乗車に成功!! となったりする。 だからね、私の怒りはまだちょっと過剰であるものの、必要な一部でもあったりするのである。 でもいちいち八つ当たるのはやっぱり大人げないのである。 つまり「大人毛」は生えていても、私は「大人げない」のである。失礼。(ニヤッ) ★★★ 話がまとまらないところにきてえらいオチだが、今日はここまでにしとこ。 次回に続く・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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