テーマ:新型コロナウイルス(10913)
カテゴリ:雑記
■ツイッターで一世を風靡した作品。■ 100日後に死ぬという強烈な掴みで話題になった作品だが、改めて見返すと100日後の死の悲劇性を高めるために筆者が凝らしていた技巧にうならされる。 事故に遭いかけたひよこに 『気をつけないと死んじゃうんだよ!』と他人事のような説教を入れる『道化』の役割から始まって、一見するとさりげない一方で、一部の読者には確実に刺さる日常の風景を入れてくる。 ワンピースの漫画を楽しみにする。 家族と年末に会えるかどうか話をする。 楽しかった映画の続編が遠い先にあると知る。 近い経験を持つ読者はこれらのシーンで、ワニを他人と思えなくなる。 100日後の死を知らず他人事のように笑っていたワニの姿が、自分自身、あるいは家族や恋人といった、近しい存在であると知る。 ■2018年、39日間、英国に行った。■ ケンブリッジやオックスフォードに行かなかったのは、ロンドンから行きやすい所で、 またすぐに行けるだろうと思ったから・・・。 ■昨年ギリシャに行った時■予定していた、オドントス登山鉄道に乗れなかった。 けれど、運が良ければ、また行けるかもしれないという思いからそんなにガッカリもしなかった。 去年までは、簡単に行けた外国に、私はもうたぶん行けないだろう。 ワニクンは、死ぬまでに98日の時、テレビの通販で見た布団を注文する。 1年待ちと言われても、 「はい!」と喜び、楽しみだな・・・とつぶやく。 彼に1年後はないと知らずに・・・。 コロナウィルスで海外どころか、映画を観に行くこともできない日々に、「100日後に死ぬワニ」クンと去年までの、なんの憂いも知らずに過ごした自分の日々が重なる。 生きているその間、なるたけ多くの「終わり」に触れておく。 そのことが、人間の生を、いっそう引きしめ、切実に整える・・・。 いしいしんじ 「折々のうたことば」2018.1.31 人は自分という存在の始点も終点も知らないし、知りえもしない。 自分がどこから来てどこへ行くのか。 いずれも霧の中だ。 でも、人の生が「終わり」を孕んでいるのは確か。 だとすれば、旅にせよ、茶事にせよ、小さな「終わり」をくり返し 「からだの芯に収める」ことで、中途としての人生にも光が射す。 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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