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2020.06.01
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テーマ:■雑学王■(728)
カテゴリ:トリビア
「四十八茶百鼠」は
江戸時代にできた言葉で、「大変多くの茶色と、大変多くの鼠色」を表現した言葉です。
なぜこんな言葉ができたのでしょう?
 由来は江戸時代にさかのぼります。
江戸時代後期、町人や商人が裕福になり、衣装にお金をかけ、贅を競うようになりました。
そこで「庶民にそんなに贅沢をされては困る」と考えた江戸幕府が「奢侈禁止令」を出し、庶民の着物の色・柄・生地・値段に、規制をかけたのです。
 庶民が着られる着物の色は「茶」「鼠」「藍」のみとなってしまいましたが、そこでお洒落をあきらめないのが町人の意地です。
許可された色の範疇で、「路考茶(ろこうちゃ)」「団十郎茶(だんじゅうろうちゃ)」「梅鼠(うめねず)」「鳩羽鼠(はとばねずみ)」など、微妙な染め分けをした新色を続々登場させ、落ち着いた色調の中でも「人とは違う着物」「粋な着物」を追求したわけです。
この時にできた、茶色と鼠色の膨大なバリエーションを「四十八茶百鼠」というわけです。
 実際に四十八色、百色、というわけでなく「すご~くいっぱい」的な表現です。
幕府に対する、密やかでありながら、はっきりした反骨精神を感じる言葉でもありますね(笑)。

「四十八茶百鼠」の中でも「利休鼠(りきゅうねずみ)」「銀鼠(ぎんねず)」などは、今でも『JIS慣用色名』に残っており、前述した色についても、カラーコーディネーター検定や色彩検定で、出題範囲の知識とされています。

では、なぜ、「灰色」ではなく、「鼠色」とよんだのか?
江戸時代には火事が多かったので、火事を連想する「灰色」とよばず「鼠色」にしたとのこと。
ゆく春や利休鼠の雨蕭蕭(しょうしょう)    はるな
猪のバトン受け取る鼠かな
昭和のこども茶碗(ねずみ)
必殺、ねずみ返し!
小林一茶の鼠の俳句

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Last updated  2020.06.01 00:03:24
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