テーマ:■雑学王■(728)
カテゴリ:トリビア
「おうなにしますか、それとも、ギュウがいいかい?」 と私の祖母は、鰻を「おうな」牛肉を「ギュウ」と言った。 無論、明治の話。 しかし、それも末期だ。 だから、その頃は、牛鍋は、ギュウナベと言いました。(略) さて、前回に、関西の牛肉すき焼と、関東の牛鍋(ギュウナベと読むんですぞ)のあり方について、かなり、くどく語ったが、それは、関東流と関西流とが、かなり違った食いものであったことを、念を押したかったのである。(略) 大体に於いて、大正十二年の関東大震災の後ぐらいからではあるまいか、東京にも関西風すき焼が進出して来たのは。 そして、大いにこれが勢力を得て、それから段々と東京の店でも、牛鍋とは言わなくなり、もっぱら、すき焼と称するようになった。 看板も、牛鍋という文字は、見られなくなって、すべて、すき焼きとなってしまった。 しかし、これは名前だけのことで、実は関西流のすき焼が、東京でも全面的に行われるようになったわけではない。 戦後の今日に至っても、純関西風のすき焼の店はあまり無くて、やっぱり昔からの東京風牛鍋なんだが、名前は全部すき焼となってしまった。■「ロッパ食談:牛鍋からすき焼へ」■ ◎ロッパは、牛鍋には、「わりした」を使うと言っている。 これは、私(天地はるな)の思い出だが、40~50年くらい前は、関西では、「わりした」というものを見たことがなかったし使ったこともなかった。 ■うし年ですから:なで牛■ ■1月5日は「牛日(ぎゅうじつ)」■ ■丑紅(うしべに)■ ■牛飼(うしかい)が歌よむ時に・・・■ ■牛車(ぎっしゃ)■ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.04.15 01:27:56
コメント(0) | コメントを書く
[トリビア] カテゴリの最新記事
|
|