テーマ:国内旅行について(2618)
カテゴリ:国内旅行
■11月15日(月) ♪富士の白雪ゃノーエ 富士の白雪ゃノーエ 富士のサイサイ 白雪ゃ朝日でとける 「ノーエ節」 この日も、富士が美しい!! 「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録された韮山反射炉を見に行った。 それが、「ノーエ節」と何の関係があるねん!と思われた方、それがあるんですよ♪ 韮山代官、江川英龍は、幕末という激動の時代を生きた中で、沢山のことをやってのけた偉人。 まず韮山反射炉のお話。 ■韮山(にらやま)反射炉■ ★韮山反射炉を息子と完成させる。 幕末期の代官江川英龍(坦庵)が手がけ、後を継いだその子英敏が完成させました。 反射炉とは、金属を溶かし大砲などを鋳造するための溶解炉。 韮山反射炉は、実際に稼働した反射炉として国内で唯一現存するものです。 ★「気を付け!」「回れ、右」の号令を決める。 英龍は屋敷近隣の金谷村の人を集め、日本で初めての西洋式軍隊を組織したとされる。 今でも日本中で使われる「気をつけ」や「右向け右」や「回れ右」等の掛け声は、その時に英龍が一般の者が使いやすいようにと親族の石井修三に頼んで西洋の文献から日本語に訳させたものである。 (▲自宅) 静岡県伊豆の国市韮山に建つ静岡県立韮山高等学校の学祖とされる(参考:静岡県立韮山高等学校)。 ★パン祖。 国防上の観点から、パンの効用に日本で初めて着目して兵糧パン(堅パンに近いもの)を焼いた人物である。 日本のパン業界から「パン祖」と呼ばれている。 ★農兵の日本最古の軍歌「農兵節」 一般的に、日本で最初の軍歌と言えば「宮さん宮さん」ですが、幕末に韮山代官の江川英龍が農兵(※長州の奇兵隊よりも先に始めた徴兵。 後の屯田兵に相当する。)の練兵時に当時の神奈川民謡を行軍歌として歌わせたと伝えられるので、譜の現存するものとしては最古の軍歌では?と、考察致しました。 (▲江川邸・桝形 ここで農兵の訓練もしたそうだ。) 三島の伝統郷土民謡 農兵節 江戸時代の末期、韮山代官江川太郎左衛門英龍(坦庵)が現在の三島市役所で農兵の訓練を行った故事にあやかり、富士の白雪ノーエと三島の情景を歌にし、舞を振り付け現在に至っています。 エンドレスに歌が続き、行軍歌に最適なわけですね ■動画:農兵節(ノーエ節)・野毛節(野毛山節)【日本最古の軍歌?】■ 野毛の山からノーエ 野毛の山からノーエ 野毛のサイサイ 山から異人館を見れば お鉄砲担いでノーエ お鉄砲担いでノーエ お鉄砲サイサイ 担いで小隊進め 天満橋からノーエ 天満橋からノーエ 天満サイサイ 橋から城の馬場を見れば お鉄砲担いでノーエ お鉄砲担いでノーエ お鉄砲サイサイ 担いで小隊進め オッピコヒャラリコ ノーエ オッピコヒャラリコノーエ チーチがタイタイ トトチチ オッピコヒャラリコ ノーエ ■農兵節(のうへいぶし)■ は静岡県三島市などで歌われ、全国的にもよく知られる民謡。 これらの中で、幕末に始まる横浜市の「野毛節」が元祖とも言われている。 しかし、三島の農兵節はこれ以前に江川英龍による農兵訓練用行進曲として始まったとも言われ、定かではない。 ●元来は歌いつがれた盆歌であるが韮山代官江川太郎左衛門担庵がジョン万次郎らの勧めで、メロディがスペイン風の行進曲に似ていることもあって農兵訓練の軍歌に定めたという。 「農兵節考」。 ●農兵の資格は17歳から45歳までの男で頑強で力のある人間。 ●農兵にダルマと呼ばれる服を着せて、銃を持たせ、6か月間様式軍隊訓練をさせる。 江戸市中に六つの屯所を設けてそこに寄宿させる。 私が「農兵節」を知ったのは、手塚治虫の■「陽だまりの樹六」■を読んで。 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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