10.17(木)-1:新潟県:新発田市・ 清水園/足軽長屋
5■2024.10.17(木)-1新潟から新発田市に行った。新発田市の清水園でガイドさんと会う。ガイドさんの背中には、「五階菱(ごかいびし)」という柴田藩主・溝口家の紋が・・・。五階菱は、今は新発田市の紋章になっている。「新発田」の由来には諸説ある。●荒地を開墾してできた新田「新開発田」の転訛とする説。なお、この説の補強論・背景として、江戸時代中期には紫雲寺潟新田が開発されるなど、穀倉地帯として発展した北陸・東北地方の歴史があるためである。●潟湖に接する「州端(すばた)」を由来とする説●アイヌ語で「鮭が取れる所」を意味する「シビタ」を由来とする説●諏訪神社の社田「諏訪田(すわた)」を由来とする説「新発田」という地名は、享徳3年(1454年)の中条房資記録 など、室町時代から見られる。「新発田」という表記に対する推察の一つとして、「しばた」に対する当時の現地発音が「シンバッタ」またはそれに類する発音であり、それに沿って「新発田」の字が当てられたのでは、といったものがある。清水園は、溝口家の下屋敷として造られ、清水谷御殿とも呼ばれていたそうです。広い庭園は、広さが15,200平方メートル、幕府の庭方の県宗智を招き造られ、近江八景をとり入れた純京都風で、中央に草書体の「水」の字をかたどった大泉池のある回遊式庭園です。池の水に、季節ごとの樹木の色がはえて、何ともいえぬ風情です。新発田藩の歴代藩主は、茶道に力を入れました。現在も清水園や五十公野御茶屋などでお茶会が開催されています。▲雪囲い▼竹に雪囲するのかとびっくりした。▲庭園にある灯篭や井戸は、必要なものだけれど、美しいデザインでオブジェのよう。まさに用の美!!▼◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆江戸時代末期における新発田藩の足軽長屋で、藩政当時のままの姿で現存する。当時の下級武士が住んでいた八軒長屋は、歴史的にも貴重な存在です。木造茅葺きの質素な建物は、当時の足軽たちの暮らしぶりを感じさせてくれます。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆「清水園」の近くに「トキワ荘」を発見!!トキワ荘といえば、東京にあった漫画家の住むアパートとして有名。手塚治虫が入っていて、手塚が出て行った後に、藤子不二雄が入り、赤塚不二夫、 石ノ森章太郎などなど多くの漫画家がここに集結して青春時代を過ごした。 手塚治虫の次に入ったのが、寺さんこと寺田ヒロオ。 藤子不二雄(ふたり)の世話をしてくれた、トキワ荘にリーダー的人。その寺田ヒロオが、ここ新発田の出身で、このトキワ荘は、寺田の記念館的な場所だそうだ。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆♪「金襴緞子の帯しめながら…」で始まる唱歌「花嫁人形」の詩の作者でもある画家・蕗谷虹児の「蕗谷虹児記念館」もよってみた。 10/16(水)■越後・東北南部行:出発/新潟を地形と歴史を感じながら歩く■10/16(水)-2■新潟市:日和山/花街■・・・・・・・・・・・・・・・・ にほんブログ村・・・・・・・・・・・・・・・・・・