カテゴリ:時事ネタ・主張
とら年ですから虎の話書こう。
主人公の李徴が虎になる、中島敦の『山月記』は、高校の授業で読んでから、今も何年かに一度は読み返すほどのお気に入りの小説だ。 李徴は非常に優秀な人物で、本人にもその自負と自信がありました。 その実力は若くして役人になるほどで、自他ともに認めるエリート中のエリートです。 そんな李徴は仕事を辞めて詩人として生きていくことを決意します。 詩作に励むこと数年、思うような結果が得られなかった李徴は再び元の職場に戻ってきました。 そこでは以前の同期が上司となっていて、李徴は彼らに使われる側になっていました。 それから1年後、李徴は発狂して虎となり行方不明になります。 ■自尊心 自分の思想や言動などに自信をもち、他からの干渉を排除する気持ちや態度。 ■羞恥心 恥ずかしく感じる気持ち。 「臆病な自尊心」、「尊大な羞恥心」=「強すぎる自意識」 李徴が虎になったのは、強すぎる自意識に飲み込まれたから。 『山月記』が高校の国語で使われるもう一つの理由は、多感な高校生が自意識をこじらせやすいからだと考えられます。 なるほど・・・。 ■「山月記」は■ 教科書で好きだった小説ランキングの2位になっている。 私たちには、身近だった国語の中の小説だが、国語の教科書から小説が消えて、全て実用文になるという大幅な改定がなされるという。 小説を排除する代わりに「求人票」や「説明書」の文章を入れた高校の国語の教科書で、実用的な国語力を育てる――。 教科書も当然、小説を排除したものが求められる。 そんな文部省の誤った考え方で現場は大混乱だという。 ここには、あってはならない、小説が五つ収録されている。 「第一学習社」は、なぜお上の意向に反して「現代の国語」の教科書に小説を収録したのか。 同社に取材を申し込むと文書で回答が寄せられた。 〈教育現場の先生方からご意見を伺うなかで、「現代の国語」の授業の中で小説を扱いたいとの要望が多く聞かれたことを踏まえました〉 〈文部科学省による事前の説明会などを踏まえ、小説を扱うことは難しいとの認識はございましたが、上記現場ニーズを踏まえ、不合格を覚悟でチャレンジするだけの価値があると判断しました〉 教育現場の声を汲み取り、あえて“狙って”小説を入れたというのだ。 そして、その狙いは見事に的中したといえそうだ。 東京大学大学院人文社会系研究科・文学部教授の阿部公彦氏は、 そうしたことを体験したり、体験を通して知ったり、知ったことを実践するのが非常に重要。 こうした言葉の不思議な働き方を体験する入り口に連れて行ってくれるのが国語教育の大事な要素のはずです。」 「週刊新潮」2021年10月7日号 掲載 もし学校で「山月記」を読まなかったら、今も知らなかったと思う。 「赤毛のアン」を知ったのも中学校の国語の教科書。 そして、それは今も私を形成するひとつになっている。 国語の教科書から小説をなくしていいのか?! ■昔語り:読書の思い出■ ■動画:ロザンの楽屋:国語の教科書検定問題■ ■とら年ですから:陽気に虎拳:とらとら■ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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