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2022.03.21
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テーマ:読書(8618)
カテゴリ:里山・歳時記
 伴四郎も度々(麹町へ)買い物などに訪れ、牡丹餅を食べています。

うるち米やもち米を炊いてすり鉢にすりこ木で簡単に搗いた状態には「半殺し」という物騒な名が付いています。
 牡丹餅は搗いた米のまわりに甘く煮た小豆を巻いたり黄粉(きなこ)をまぶしたりした食べ物で、家庭でも手軽に作られていました。
牡丹餅は宮中の女房言葉では萩の花とも言い、おはぎという名が生まれています。
牡丹餅とおはぎは、粒餡とこし餡の違いや、春と秋など季節の違いから区別されたとも言われますが、牡丹餅が元だそうです。
伴四郎も牡丹餅とおはぎの両方を日記で併用しています。
牡丹餅は、春や秋のお彼岸に付きものの食べ物、江戸時代には自家製の牡丹餅を贈答し合っていました。
伴四郎の日記にも、貰った牡丹餅を「至極良い出来」だったと記しています。
 九月三日、(略)伴四郎が麹町で食べたのは、麹町名物おてつ牡丹餅のことです。
小豆、黄粉(きなこ)、胡麻の三色の小さな牡丹餅で、江戸の名物として知られていました。
この時の小遣帳には「四十八文  おてつ餅」とあります。
助惣とおてつ近所でうまい仲」という川柳は、同じ麹町三丁目の助惣焼とおてつ牡丹餅を詠んだもの。
この助惣焼というのは「助惣ふの焼」のこと、小麦粉生地を薄くのばして焼いて、中に餡を入れて四角に折りたたんだ菓子です。
その姿は「助惣に布団をたたむ春こたつ」という川柳からも想像することが出来ます。
ちなみにこの六年ほど前の安政元年(1954)に、牡丹餅を食べると炎暑に当たらないという流言が広がり、各家で牡丹餅を作ったために
江戸中に搗き餅屋ではもち米や白米を、粉屋では小豆の粉を切らし、菓子屋には大勢の人々が牡丹餅を求めて集まって大混雑だったそうです。
「下級武士の食日記」

 亥の子には、おはぎを作り、近所におくったということは、■あきない世伝金金と銀■にもあった。

★おはぎは12個、入れ物は一升枡。
昔ながらの作法通りに用意した・・・。

(猪子の日のしきたり)
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Last updated  2022.03.21 00:05:55
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