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カテゴリ:映画
■マイヤ・イソラ 旅から生まれるデザイン■ わたしは、すべてをかたちにする。 フィンランド南部リーヒマキ、アロランミ。 1927年、マイヤは農家の3人娘の末っ子として生まれた。 農作業を手伝い、姉妹で紙の人形を作ってままごとをして遊んでいた。 13歳から家を出て一人暮らしとなり、厳しい戦時下を生き抜いた。 45年、17歳年上の商業芸術家ゲオルグ・レアンデリン(ヨック)と結婚し、翌年19歳でクリスティーナを出産。 ヨックとは共に暮らすこともなく離婚し、母トイニにクリスティーナを預け、マイヤはヘルシンキの芸術大学へ進学する。 この時から、マイヤは離れて暮らす娘に手紙を送り続けていく。 初めてのノルウェーへの海外旅行で出会った壺をデザインしたファブリックを大学のコンテストに出品すると、マリメッコの前身であるプリンテックス社を立ち上げた(マリメッコ創業は1951年)アルミ・ラティアの目に止まる。 アルミはマイヤの作品を購入し、マイヤはデザイナーとして雇われることになる。 経営者とデザイナー、アルミとマイヤの唯一無二のパートナーシップの始まりである。 マリメッコはアメリカ進出を果たし、60年にジャクリーン・ケネディが購入したドレスを着て雑誌の表紙を飾ったことが話題となる。 64年には「(花はそのままが一番美しいので)花をファブリックのモチーフにすることは許さない」としていたアルミの意に反し、マイヤは花のデザインだけを集めた「花シリーズ」を制作。 そのデザインを見たアルミは考えを変えて、多くのデザインを購入。 そのうちのひとつが「Unikko(ウニッコ)」であり、その後マリメッコのアイコンとなった。 ●上の写真は、心斎橋シネマート(映画館)のカーテンとして使われていたマリメッコの布。 マリメッコの商品を知っていても、それをデザインした人がどんな人か知らない人が多いのではないだろうか? 私もそのひとり。 7~8年前、北欧に行った時、飛行機の時間待ちで、お店をウロウロしていたら、マリメッコを見つけた! お土産用に、娘二人と私の分3本の傘を買った。 赤いウニッコだったけれど、 こちらの、ロゴ(マリロゴ)の方が良かったと今は思っている、( ;∀;) その時、私用にTシャツを買ったけれど、私より娘の方が似合うので次女のものとなった。 私とマリメッコの商品は、そんなもの。 しかし、店のそばを通る時には、いつも見ている。 そんな気になるブランドがマリメッコだ。 昨年、京都に行ったら、黒地に目立たないウニッコ模様の夏のワンピースを着て、スカーフをした80歳をゆうに過ぎた感じの女性を見た。 ちょっと足が不自由ぽくて、杖をついていたけど、素敵だった。 私も70歳を過ぎているけど、マリメッコが欲しいと、思う。 「マイヤ・イソラ 旅から生まれるデザイン」は、そんなマリメッコのデザイナーのドキュメンタリー。 マリメッコのデザイナーは、複数いるけれど、代表的なデザイン、ウニッコ(ケシ)をデザインしたのが、 マイヤ・イソラ。 有名になったしお金も沢山、手に入っただろうけど、彼女は幸せだったのだろうかと思った。 男の子を望む家族の元、女の子として生まれたことで、あまり可愛がられなかったという幼児期。 結婚をして子供をもうけたのが19歳。 早すぎる結婚と子ども。 同居することなく破綻した1度目の結婚。 彼女は生まれた子供を自分で育てることなく、学校に。 その後も数回結婚するが、その都度、破綻する。 普通、結婚すると、家を作る。 その家が居心地いいように、家具を揃え、料理をする。 13歳からひとり暮らしをしていたマイヤにとって、家庭とはどんなところかも分からなかったのかもしれない。 本当の家庭を持たない彼女が あちこち旅をするのも、その寂しさから逃れるためだったのかもしれない。 にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.03.14 11:38:19
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