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カテゴリ:国内旅行
■2023.5/24-1 「いっぺん きんさいや 宇和島へ」と言われたので、愛媛県・宇和島市へ行ってきた。 宇和島市の周りは、北宇和郡、南宇和郡、西宇和郡などの地名があるが、 明治4年(1871年)7月14日、廃藩置県により宇和島藩は宇和島県となったというからこの辺りの中心的な町だったのだろう。 観光案内所で「鹿踊り」の置き物を見てビックリ!! 「鹿踊り」って岩手で見たけど、なぜここに? ガイドさんの案内で宇和島城へ。 伊達秀宗は戦国の世に「独眼龍」と称された仙台藩主伊達政宗の庶長子として育つ。 後に正室に息子が生まれたので、正宗が徳川家に秀宗の身が成り立つように嘆願した。 幕府は政宗の大坂冬の陣の戦功と秀宗の忠義に報いるとの理由で宇和島藩を与えた。 そのため、「鹿踊り」という東北の文化が入ってきた。 それで宇和島の伊達家の家紋は、竹に雀で仙台の伊達藩と同じ。 ちなみに、向かい合う雀は、左:阿 右:吽の阿吽になっている。 お城にも、仙台伊達家の使用している紋が使われている。 上から「九曜」、「宇和島笹」、「竪三つ引」。 一番上が●九曜紋(くようもん)● 星といえば、★が一般的な現代だが、昔は●で表された。 勝ち星などに通じるため武士の間によく使われた。 竹に雀。 「三つ引き両紋」。 伊達家の1世である伊達朝宗が、藤原討伐の褒賞として源頼朝から下賜された家紋です。 古来より「災い除け」として『古事記』などの譯(はなし)にも登場する桃の形の瓦。 しかしこの天守閣、なにか変? 天守の入り口には唐破風屋根で開放的な造りの玄関が用いられている。 戦いのシンボル的な天守閣なのに、正面に玄関がある。 敵を迎え入れてどうする!! 壁には狭間や石落としなど戦いの備えが一切なく、窓には縦格子があるものの、五角形にして外を眺めやすくしている。 使い勝手や装飾が重視されていることから無防備な太平の世の建築であるといわれるが、実際はすべての窓の下の腰壁には鉄砲掛けがあり、腰程の高さにあけられた窓から直接射撃を行う設計であったと考えられている。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ●天赦園(てんしゃえん)● 宇和島藩第7代藩主である伊達宗紀が、隠居場所として建造した 池泉廻遊式庭園。 伊達家の家紋「竹に雀」に因み様々な種類の竹をはじめ、藤や花菖蒲などの四季折々の花が植栽されている。 名の由来は、伊達政宗が隠居後詠んだ 馬上に少年過ぎ 世は平にして白髪多し 残躯は天の赦す所 楽しまずして是を如何せん という漢詩から採ったもの。 (藤の満開時はこうなる) 園内には多くの藤棚があり、中でも池上にかかる太鼓橋式の藤棚にかかる白玉藤は、この園ならではの風景となっています。 ▲太鼓橋式の藤棚にかかる白玉藤。 伊達氏の祖先が藤原鎌足で、その家紋は「藤」というところから。 樹齢300年を超えるといわれる「野田藤」も。 ノダフジ(野田藤)の名は、この種が植物学者の牧野富太郎により命名されるきっかけとなった、 フジの名所であった大阪市福島区野田にちなんでいる。 摂津(今の大阪)野田村は「吉野の桜、高尾(高雄)のもみじ、野田の藤」と言われるほどフジの名所であった。 宇和島藩の参勤交代の帰り道、この美しい藤をもらい受け天赦園に移植した。 いつからここにいたのだろうというくらいの松の老木が・・・。 水と緑の庭園にいやされる・・・。 ■四国へ■2023.514~5月28 ■5月14-1■フェリーで四国へ/人形浄瑠璃■ ■5月14-2■徳島城公園と蜂須賀家■ ■5月15■徳島市・眉山/藍の館他■ ■5月16■徳島県:重伝建の島・出羽島(てばしま)■ ■5月17-1■高知県:室戸岬/ジオパーク/弘法大師伝説■ ■5月17-2■高知県・室戸市:重伝建:雨風から家をまもる■ ■5月17-3■高知県:モネの庭■ ■5月18-1■高知県:安芸市のシンボル野良時計等■ ■5月18-2■高知県:弁天座・絵金・牧野植物園■ ■5月19-1■高知県:高知城■ ■5月19-2■高知県:龍馬の生まれた町■ ■5月20■高知県と愛媛県にまたがるホテル■ ■5月21■高知県:カルスト公園・天空の道/屋根のある橋■ ■5月22-1■四万十川:沈下橋と遊覧船■ ■5月22-2■四万十市郷土博物館/安並水車/足摺岬■ ■5月23-1■足摺岬/ジョン万次郎■ ■5月23-2■見残し海岸/宿毛市・林邸■ にほんブログ村 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2023.07.24 00:20:22
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